8月のスケジュール
関東も梅雨が明けて、いよいよ夏らしい感じになってきました。
梅干しをいつ干そうかと天気予報が気になっています。
さて、8月のスケジュールです。
鵠沼海岸で開催していた単発のクラスは今後しばらくお休みする予定です。
呼吸とマインドフルネスに関しては、1回だと伝えきれない感じがあるので、
鵠沼海岸にて連続講座の開催を考えています。
マインドフルネス、呼吸、ヴェーダの智慧など、今この瞬間に生きる、自分のまんなかに還る、
つまり、魂から生きるのに役に立つなあと思う内容を思う存分シェアしたいと思っています。
1日集中を5回くらいでしょうか。
詳細はまた追ってお知らせします。
〜8月のスケジュール〜
8/5(金)14:20〜16:00 @外苑前
自分に還るシリーズ★源につながる身体と呼吸作り★全6回のお稽古 第四回
8/11(祝・木)11:00〜13:00 @藤沢市
マインドフルネス3回講座vol.2
google社だけでなく、多くの企業、ビジネスリーダーが実践するマインドフルネスを東洋医学と共に学ぶマインドフルネス瞑想講座 | 108 towayoga
8/21(日)10:00〜12:00 @武蔵小杉
呼吸の練習会
8/21(日)13:00〜15:00 @武蔵小杉
マインドフルコミュニケーション
8/23(火)@外苑前
自分に還るシリーズ★源につながる身体と呼吸作り★全6回のお稽古 第五回
8/27(土)13:00〜16:00 @藤沢市
マインドフルネス3回講座vol.3
google社だけでなく、多くの企業、ビジネスリーダーが実践するマインドフルネスを東洋医学と共に学ぶマインドフルネス瞑想講座 | 108 towayoga
連続の講座も単発参加も可能です。
そして、9月以降ですでに決定しているものはこちらです。
9/5(月)12:30〜18:30 @千葉県市川市
今この瞬間を自分の源のエネルギーで生きる 〜自分を見つめて人生を変容するきっかけになる1日〜
NVC(Nonviolent Communication)をベースに、今この瞬間、自分の中に何が起きているのかを認知することからはじめていきます。そのうえで感情の本来の役割を知り、自分の奥に眠っている自分が本当に大切にしたいことをすくいあげていく練習をしていきます。
自分自身とのコミュニケーションや他者とのコミュニケーションを、慈愛に満ちたものにしたい。そうして人生を自分らしく創造したい。そんな方におすすめの1日になるだろうとおもいます。
9/17(土)〜19(月)
Zero Re-setリトリート@沖縄
サイキックの坂本敬行さんとのコラボリトリート。
私は呼吸と身体からのアプローチ、坂本さんはエネルギーレベルでのアプローチ。ニュートラルに戻り、魂の声を聴いて生きるきっかけになるようなリトリートです。興味のある方は詳細をお送りいたしますのでご連絡ください。
10/8(土)10:00〜16:00 @福岡県田川郡赤村
10/9(日)10:00〜16:00福岡県奈良屋町
※10/8、9は同じ内容です。
インナーチャイルドと呼ばれる自
スローダウンすることこそ本当の意味で生産的なんだろうとおもう
マインド(思考)にとって、大切なのは「正しさ」。マインドに乗っ取られていると、どうしても正しい、間違ってる、良い悪い、というような二元性から抜け出せなくなってしまいます。だから、呼吸を落ち着けて、本来の自分である今の気(息)分を大切にすることについて、こちら↓でお伝えしました。
「今」の「気(息)」分を優先されるのは、マインドにとっては大変困ること。だから、大騒ぎしたマインドはいろいろな妄想をし、不安を生み出し、そこから遠ざけようとします。マインドが暴走しがちだと、本来自分にとって必要なこと、自分を満たすことであるAという事柄ではなく、なんとなく正しそうなBという事柄を選ぶということが起きてきます。
でも、本来の自分はAを望んでいるわけですから、Bを選んでもなにか不具合がおきてきます。まずは感情面に現れます。イライラしたり悲しくなったり。そこでちゃんと自分に向き合って気づければいいのですが、マインドはそれを押し込めるのも上手。成長のためには、こういう経験も必要だとか、みんながんばってるんだから、前向きに考えないと、とかなんとかいって。そうすると本来の自分は、次は、もう少し大きなシグナルを出し始めます。怪我とか病気とかBをやめざるを得ない状況を作り出すわけです。
マインドに乗っ取られた状態だといろいろ面倒なことも起きてくるんですが、マインドにとっては、そんなことはどうでもいいわけです。だって「正しさ」が大事であって自分が幸せかどうかは関係ないのですから。
では、マインドを暴走させないためにはどうすればいいのか。それは、今この瞬間に自分を置くこと、つまりマインドフルである、ということです。今の自分に起きていることに気づくためには、一旦停止し、スピードを落とすことが必要です。
“逆説的にも私たちがゆっくりすることしか、より遠くへ行ける方法はないのです。やることを減らし、買うことを減らし、生産することを減らすことによって、私たちは多くを得ることができるのです。より多くのことが祝福でき、より多くを楽しむことができるようになるのです。時間というものは、物事を完璧にさせてくれるものです。何事も時間をかけて行うこと、そしてまた、何もしないでそこにただいるだけの時間も自分に与えてください。”
サティシュ・クマール
スピリチュアル・コンパス 宇宙に融けこむエコ・ハートフルな生き方 (超★スピ)
- 作者: サティシュ・クマール,エハン・デラヴィ,愛知ソニア
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スローダウンして本来の自分に還ることで、本来の自分といういのちを輝かせ、有効に使うことができるのだろうとおもいます。それはつまり、自分への祝福なのだとおもうのです。
近所の海から見た夕焼けです。今日は夕陽がきれいそう、そんなふうに思って海までぶらぶら散歩に行きました。いわゆる「生産的なこと」はなにもないんですが、満たされた気分で一日の締めくくりができたことはたしか。そしてそれは、私にとって大きなお祝いです。この満たされた感じを当然のように循環させていくっていうのがいいんじゃないかとおもうのです。
結局のところ、しあわせ感と正しさ、どっちをとるか、ということなんです
明日の大事なプレゼンのことを考えると、失敗したらどうしようとかうまく話せるかなとか心配になっちゃってよく眠れない…。プレゼンじゃなくてもなんでもいいんですが、もし〇〇になったらどうしよう、とか〇〇にならないように〇〇しとかないと!とか、そんなふうに考えて不安になったり焦ったり。そういうときはマインド(思考、心)が暴走している状態です。
マインドフルネスの練習をすることで、マインドは暴走しにくくなっていくということが起きてきます。なぜかというと、マインドは、過去か未来にしか生きられないから。マインドフルネスとは今この瞬間に自分をおく練習です。つまり、今この瞬間にいるということ=マインドにとっては死なわけです。
でもマインドにとっては、マインド自身が生き延びることがまず大事。そしてここがポイントなのですが、そのためには、しあわせであるかどうか、満たされているかどうかはどうでもよく、「正しい」ことが大事なんです。大事なことなので繰り返します。マインドにとっては、幸福感や充足感より正しさが大切なんです。
マインドにのっとられていると、物事を良い悪い、で考えてしまいます。たとえば、AとBという選択肢があったときに、どちらを選ぶのが良いか、どちらを選ぶべきか、で判断します。本当のところはAがしたい、Aに惹かれると感じていたとしても「Bを選ぶべきだ」となったりします。さらにマインドは、世の中そんなに甘くない、お金がなくなったら困るじゃないかとか、もっともらしい理由を上手につけることができます。Bに全く興味がわかなかったとしても、今とりあえず我慢してBを選んでおけば、後に良いことがあるにちがいない、とか。
何かを選ぶとき。何かを食べるとき、買うとき、旅先を決めるときなどにはひと呼吸。呼吸を落ち着けて、本来の自分である今の気(息)分で選んでみます。未来に何が起こるのかなんて、誰にもわかりません。先のことを考えずに、自分の気分を信じてみます。
ちょうどバカンスシーズンです。ここがパワースポットだからとか、お得だからとか、せっかく休みなんだから家にいたらもったいないとか、損得勘定やべき、ねばならぬ、で決めるのではなく、行きたいところ、なんだか分からないけど惹かれるところで選んでみると、自分に本当に必要な場所にいけるだろうとおもいます。もしかしたら、予約はしたけれど、いざとなったらどこにも行かずに家でのんびり過ごすことを選ぶかもしれません。マインドは「もったいないじゃないか!」とかなんとか言って大騒ぎするでしょうけれど(笑)。
夕立のあと、ふと庭をみたらバナナの葉っぱが美しいことに。マインドは蚊に刺されるかもしれないから、窓越しに見れば良いじゃないかと言っていましたが、やっぱり近くで見てよかったとおもいました。
発芽、成長、開花、結実、枯死、そしてまた発芽
人は自然の一部、産物。ゆく川の流れは絶えずして、身体やマインドもやっぱり変化し続けてます。
たいていの植物は、発芽、成長、開花、結実、枯死、そしてまた発芽、というサイクルを繰り返しています。私たちの人生も、一生という長期的な目で見ても、10年、1年、1日というような中期的、短期的にもこんなサイクルを繰り返しています。季節が巡るように、人生にもおなじように四季があるというのはヴェーダの教えのひとつ。ずっと同じということはなく、山あり谷ありなのは当然、ということです。
では今、自分はどのあたりにいるでしょう? ためておいたエネルギーを発芽させるとき? それともそこから成長をしていく時期でしょうか? ひとつ花を咲かせて、実を結ぼうとしているかもしれません。ひとつの出来事が完了して次の種がまかれたときかもしれません。
結実にこそ価値がある、だからそこまでのプロセスはできるだけ短縮して効率よくたくさん実を付けるのがいい、そんなような価値観が浸透しているように思います。でも、私たちは自然の一部です。いつも実を付けることは不可能だし、豊かな実りのためには、それ以外のプロセスも同じように重要です。枯れて土に還ることも当然ながら重要です。新しい芽を出す前の段階には、必ず枯死があるわけで、さらにそれはそのまま、発芽以降成長するための養分になります。
どんなプロセスにも意味があり、そのプロセスなしに次のプロセスは起こりません。発芽の時期には、芽を出すことだけに専念すればいいわけで、結実を急いでそのプロセスをないがしろにすれば、結果的に豊かな実りは得られなくなってしまいます。
私たちは、自然の一部。自分がどのプロセスにいるのか、一度立ち止まってみると自分に今、何を与えればいいのかが明確になります。ぐんぐん伸びていく時期には、たっぷり滋養を与えて活動を促すことで、本来のパワーが発揮されやすくなるかもしれないけれど、反対に、枯死の時期にいくら滋養を与えてどうにか成長しようとしても、それは無理なわけです。
自然と調和して生きるには、思考の暴走を抑えて(ゆったり呼吸しましょう)まずは自分の身体という自然に調和することが大事かなとおもいます。大事なことは全部、身体が知っています。そして、呼吸が鍵をにぎっています。
「自分を信じること以上に大切なことはない」。ほんとうにそう思います。思考ではない本来の「自分」というのは、自然と調和した、自然の一部です。体感覚として現れるそれにまずは耳を傾けるところから。
自然を愛するってことはつまり自分の身体を愛するってことだ
自然が生み出すものに畏敬の念を感じられるなら、同じように自然が生み出した自分の身体にも畏敬の念が生まれると思う。他者の身体にも。バクティヨガってよく分からなかったけど、そういうことかと最近腑に落ちた。すべてのものの中に神性を見いだすことによってのみ、すべてのものを愛せるっていうのが。
自然と近しくなって触れ合うことの効能としては、その大きなものへの畏敬の念が自然と生まれることがあるとおもう。よく、大自然の中にいると自分のちっぽけさが分かる、と言うのだけれど、うん、それもあるけど、それだけじゃないとおもいます。
試しに、身近にある自然といつもよりお近づきになってみます。大自然の中に行けたらベストだけれど、都会の中にも自然はあります。というか、逆か。自然という大きなもののなかに都会があるのかも。まあそれはいいとして。
木々をただ遠くから眺めるのではなく、近づいてその質感をじっと見てみる。手で触ってその感触を味わってみる。香りを吸いこんでみる…。花も、マクロレンズで観るかのように、めしべやおしべ、花びらの筋などまで詳細に眺めてみる。岩や石や、自然が生み出した造形物の美しさ、豊かさ、素晴らしさをじっくりと味わってみる…。自然は完全な調和をもってそこに存在しています。日本では古くから、その自然を愛で、美しさを讃え、森羅万象に神が宿ると考えていました。それが八百万神(やおよろずのかみ)ですね。
さて、私たち人間も、自然の一部です。大事なことなので繰り返します。私たち人間は自然の一部です。アーユルヴェーダ的に言えば、そこにある花も、人間の身体も、岩も、素材はおなじ。その配合が違うだけです。
そんなわけで、自然が織りなす美しさや偉大さをじっくりと味わったら、今度は、自然の一部としての自分の身体も同じように扱ってみます。頭のてっぺんからつま先まで、くまなくさわってみたり、眺めてみたり。自分の身体を、自然が生み出したもののひとつとして愛でることができるとき、自分のそのままの美しさを認められるんじゃないかなとおもいます。自分はちっぽけかもしれないけれど、ちっぽけなだけではなく、偉大な自然が生み出した自然の一部。
現代においての女性の美のほとんどは、メディアによって生み出されたもののように思います。足は細く長く、ウエストはきゅっと引き締まって、胸は豊かで…。その作られた「お手本」と自分を比べて、自分にはここが足りない、あそこがだめだ、そんなふうに自分を裁いて、叱咤激励し、がんばってダイエットしたり、エステに行ったり。それって、ひまわりが朝顔を目指すようなものなんです。朝顔みたいになるために、朝早く咲かなくちゃ、茎が太すぎるから細くしなきゃ、いろんな色の花を咲かせなきゃ…。でも、ひまわりにはひまわりの美しさがあって、ひまわりなりのペースで種から花へ、そしてまた種を生み出して土に還るというサイクルを繰り返しています。
自然が持つその完全なサイクルや調和、美や偉大さは、自然の一部である自分にも同じようにあるものです。それを認識したとき、自然と自分にも他者にも愛を持って接することができるのではないかなとおもいます。
ああもうこれが絶対欲しい、ワクワクするし、ワクワクって自分の進むべき方向を表すっていうし、これは私に必要なものなんだ!と思い込んでしまうカラクリ
不安や恐れは、過去や未来からやってくる。今ここ、という現実には不安や恐れはありません。では、未来を予想してのワクワク感もやっぱり妄想?
たとえば、私たちが魅力的なものを前にして、それを得たい、食べたいと思うとき。あるいは、翌日に楽しみなイベント(デートやライブなどでしょうか)があるようなとき。ああもうこれが絶対欲しい、ワクワクするし、ワクワクって自分の進むべき方向を表すっていうし、これは私に必要なものなんだ!ワクワク、ドキドキ、興奮!
そんなとき、脳内にはドーパミンという物質が放出されています。このドーパミンの作用は行動を起こさせることであって、幸福や満足感をもたらすものではありません。脳は「報酬」の予感を抱かせることによって、私たちにそれを手にするための行動をさせるのです。
ドーパミンが大量に放出されると、人(動物)は、何が何でもそれを手に入れようとし、手に入れなければ気が済まなくなります。意識はすべてそのことに向けられ、わくわくや興奮を感じ、それを手にするために行動すること以外を考えることができなくなってしまいます。さらに、ドーパミンが放出されると、脳のストレスシステムにも信号が送られ、ストレスホルモンが放出されて不安感も同時に感じさせます。
このとき、私たちは、ワクワクドキドキするのは、その対象物のせいであり、不安を感じるのはそれを手に入れられないからだ、と思い込みます。この脳の「報酬システム」のおかげで、太古の昔、私たちは危険をおかしてでも狩りに出かけて食物を得て生きることができたわけです。
でも、今この瞬間に意識を向けるとよくわかるのですが、この時感じているのは、喜びや幸福ではなく、報酬(おいしい食べ物や楽しい時間など)への期待感です。
では、この報酬システムがないほうがいいかといえば、そうでもなく、反応しないと欲望がなく、喜びも感じることができない無感動の状態であり、こちらもやはり満足している状態ではありません。
大切なのは欲望や「期待感」と「幸福」を区別することです。何かを得ようとしているときのワクワク感は、不安まじりの期待感であることを認識し、その上でどう行動するかを自分の意志で決めることです。
着回しのできるジーンズを買いに来たとします。でも、とっても素敵に思えるワンピースが目に入って気づいたらもう買っていた…。そんなことが起きるのはこの報酬システムによるものです。でも、現代社会においては危険を冒してまで狩りに出る必要はありません。脳の報酬システムを作動させなくても、大丈夫なんです。だから、何かが欲しい!食べたい!そんな衝動が来たら、まず深呼吸。少しの間呼吸に意識を向けてみます。脳の報酬システムに乗っ取られて反射的に行動しないためには(ワンシーズンに1度しか着られないワンピースではなく、本来買おうとしていた着回しのできるジーンズを買うためには)、そんなふうにして今この瞬間に自分をおくことが役に立ちます。
ワクワクが自分の進むべき方向の羅針盤になるとよく言われますが、脳の報酬システムによるワクワクなだけ、ということも多々あります。呼吸を落として、静かな自分で、それでなお、肚に躍動感を感じる。そんなワクワクは確かに羅針盤になるとおもいますが。
ビュッフェやたくさんのごちそうを目の前にしたとき。口の中のものを味わうこと(=今この瞬間を味わうこと)ではなく、次に何を食べようかという期待感(=未来への想像)にのっとられがち。食べものを口に入れたら、一度箸を置き口の中に入っているものを全力で味わってみましょう。写真は友人が作っている赤米です。噛むほどにおいしいお米はマインドフルに食べるのにぴったりです。
今ここ、という現実。過去や未来という妄想。
マインドフルネスのスタートでありゴールでもあるのは、「今この瞬間」にいる、ということです。それはつまり、現実を生きる、ということです。過去や未来は、今この瞬間には存在しません。それは、私たちの頭の中にだけあります。つまり、それは現実ではなく、寝ている間に見る夢と同じようなもの、ということです。
私たちは、私たちの頭の中にある過去と未来の中に入り込んだときに、恐れや不安を作り出します。たとえば、子どもの頃に犬に噛まれると、大人になっても犬が怖い、ということはよくあることです。それはつまり、過去の記憶(犬に噛まれた)をもとに、未来(犬に噛まれるかもしれない)を想像して恐れや不安を感じる、ということです。実際には目の前の犬は、噛み付くことはなく、人懐っこいかもしれません。でも、過去や未来に入り込んでしまうと、その目の前の現実(犬)をそのままに見ること、体験することができなくなってしまうのです。
私たちは未来を想像し、その不安から動くことが多々あります。お金がなくなるかもしれない(からつらいけど働こう)、恋人に嫌われるかもしれない(から自分磨きをしよう)、病気になるかもしれない(から食事に気をつけよう)…。でも、今この瞬間という現実に意識を向けたとき、その不安はあるでしょうか。
マインドフルネス=静かに座って「無になる」ことではありません。今この瞬間を生きることであって、日々の生活の中で、いつでも実践できることです。そして、今この瞬間をとらえるためには、体感覚が必要です。今この瞬間の手のひらの感覚を感じてみましょう。スマホと手のひらのふれ合っているところでも構いません。では、昨日の手のひらを感じることはできるでしょうか。あるいは明日の手のひらは? それを感じるのは不可能ですよね。過去や未来の体感覚は、思い出すか想像するかしかできません。まずは、日常の中に今この瞬間の身体を感じる時間をつくってみましょう。たとえば、信号待ちの間、電車を待つ間、家から駅までの道のり。足の裏の感覚や呼吸が出入りする鼻の穴の感覚などを感じてみます。
寝ている猫(や人間)のお腹がふくらんだりしぼんだりするのをただ観察してみるのもおもしろいものです。次に、その呼吸に自分の呼吸を合わせてみます。今この瞬間にいるための練習です。