Forget for get

呼吸が変わるとラクになる

2017.6.5〜6.11 日々のこと

6月5日(月)

早朝に家を出て高松へ向かう。 小田原駅の新幹線乗り場に行くとよく見る光景、ビジネスバッグの整列。それは、新幹線を待つ人たちが、自由席の乗り場のところにバッグを置いて順番待ちをさせ、持ち主はベンチに座っている、というもの。最初に見たときは、なんとも残念なような物悲しい気持ちになったけれど、最近はこれを見ると日本って平和だ!と思う。

岡山から瀬戸大橋を渡る電車に乗り、高松、そして市電で仏生山温泉へ。温泉はとろりとしたお湯が心地よくて、静かで、そして洗練された空間。温泉→読書→うたた寝、の繰り返し。1日中だらだらと過ごす。

いつもとしていることはあんまり変わらないけれど、移動して場所が変わるとか、アウェイの場所で過ごすとか、そういう刺激が必要なことってたまにある。移動することで見えてくるもの。そして家事などからは一切離れて一人で静かに過ごすっていうのも時折必要。リトリート。

 

6月6日(火)

朝起きて外に出たら、ビワの木を発見。食べ頃のが結構なっている。しかも手に届くところ。1つとって食べてみたらすごく美味しい。もう2つもらう。鳥も食べてた。果実って、木になる子供のようなものだけど、それが地面に落ちて木の養分になることを思うと、木のお母さんでもあるんだなあ。鳥のフンもそうだ。いのちの循環。

温泉で中川さんと落ち合う。久しぶりだし、結構長いこと知っているけれど、ぴかーんとしたエネルギーは変わらないなあと思う。まっすぐさ。今日は中川さんの友人の高松ローカルのてっちゃんがアテンドしてくれる。

てっちゃんのその物静かだけれど、内側にある何か確かななもの、その感じが頼もしい感じ。人との距離の取り方が心地よかった。近すぎず離れすぎず、でもちゃんと気にかけてくれているような。そして相手のため、と自分のため、が一致しているような安心感。1日ローカルなところを回ってくれて、落ち着いた楽しさとともに過ごす。

最後に行ったてっちゃんおお店で中川さんの最新の写真集『ダレオド』をようやく見られた。とてもすばらしかったので、買う。

高松のうどん、とてもおいしかった。けれど、1日3食は多すぎた。夜、中川さんと岡山に戻り、モーレツにサラダなど野菜料理を作って食べる。

 

6月7日(水)

朝起きたら、雨。梅雨入りだって。 特に予定があるわけではないので、中川さんとおしゃべりしながら夏みかんジャムと梅ジュースの仕込み。この時に撮ってくれた写真、とても気に入っている。

その人がどんなところにいても、どんな風であっても、たとえ外側から不幸そうに見えたりしても、大丈夫。という確信がある。「今」の結果は今はわからないし、それぞれのいのちが、ちゃんとそれぞれの道を行く力を持っている、という信頼があるから。

その、それぞれが、それぞれの道を行く、その道程で、ある通過点で、ともに時間を過ごせたら、それはそれは素敵だ。

素晴らしく美味しいインド料理屋さん2軒に連れて行ってもらい、地元の作家さんのガラスのコップも買えて(しかもたまたまご本人がいらしてお会いできた)嬉しい。

 

6月8日(木)

夜行バスで朝帰宅。日本で乗るのは初めてだったけど、とても快適。時間も有効に使えるし、帰ってくるときはバスもいいかも。朝帰宅するっていうのは結構好き。新宿のゴールデン街で飲んだり、徹夜で仕事したりで朝帰りが多かった頃の懐かしい思い出も。

とくに目的があったわけではなく、なんとなく決めた今回の旅行。行ってよかった。中川さんに会うのが目的なら今週末彼女は都内に来るし、旅行に行く明確な理由ってなかった。でも、先に「行く」が決まり、そこからはその場その場で起きることが起きただけというような感じ。結果、お互いが、今この時に会えてよかったという感じだったし、一人で過ごした時間もとてもよかった。

夜、おちんちん先生から林さんの青梅を受け取る。梅ジュース用。黙々と単調な作業をするのは割と好き。

今晩からとーちゃんの家で暮らす。彼が旅行に行っている間の猫係。猫がいる暮らし、久しぶりで楽しみ。

 

6月9日(金)

どこかから帰って来たとき、どこか新しい場所に行ったとき。海や温泉にぽちゃんと入るだけでチューニングされる感じがする。 というわけで、海へ。

夜、サイゼリアに初めて行く。今まで行く機会がなかったけど、サヴィちゃんが誘ってくれたおかげで。サイゼリアとか真美さん誘いにくい、とのことだったけど、いつもじゃないけどジャンクなものも食べる。物質そのものよりも、そこに流れる何か、の方が私にとっては大事。疲れてたり本当は料理したくないのに義務感で作ったオーガニックな食材を使った料理を食べるなら、楽しい気分でお惣菜を買いに行ったり外食したりして、リラックスして食べるのが好き。

 

6月10日(土)

自分を無駄使いしないようにしよう、とふと。

プロにただで仕事を頼むことについて。友人や知人の、例えばデザイナーや写真家やライター、ヒーラーなど、原価がないようなそんな場合。ちょっとデザインして、写真撮って、文章書いて、マッサージして、前世見て、などなど。私もライター時代にそういう事はまあまああった。

八百屋さんが野菜を仕入れる、みたいなそんなわかりやすい原価はないけれど、技術やセンスという商品を売っているわけで、それにはうーん…となる。友達だから払いたい、友達だからタダにしたい、っていうその相互関係があるといいなとおもう。

でもその一方で最近思うのは、持ってるものは全部オープンにしたいということ。これって別に私のものではないし。私がたまたま得たものであって、それって私が一人で独占するためじゃないはず。でもそこに値段をつけるのは、ちゃんと向かい合うっていうことをしたいから。タダだからとか安いからまあいいか、みたいな感じじゃなくて。

 

6月11日(日)

波がないので江ノ島までパドルで。烏帽子岩まで行こうかという案も出ていたけど、今日は軽くにしとこう、と。片道20分くらいなので気楽。江ノ島の誰も行かない(潮を選ばないと行けない)岩場はフナムシパラダイス。これがフナムシか(初めて認識した)。中嶋さんはフナムシを捕まえて嬉しそうであった。

猫ってやっぱり、数時間とか会うんじゃなくて一緒に暮らすことにその醍醐味がある。ほわっと柔らかい言葉は通じない小さな生き物。でも、なんか通じ合えてる感はあるし、尊重し合ってる感もある。猫と暮らすと、言葉など通じない方がコミュニケーションはうまくいくんじゃないかとおもうほど。

去年、NVC(ノンバイオレントコミュニケーション)のインターナショナルトレーニングで、お互いの母語で話、それを聞きあう、というのをした。私の相手はポーランドの人で当然何を言っているかはわからない。相手も日本語はわからない。それでも、とても深いつながりがそこにはあった。ストーリーを聞くのではなくて、それに隠れている何か。それを聴くためにはストーリーはいらなくて、日本語でもポーランド語でも猫語でも、何かそれを媒介してくれるものさえあればいいんだとおもう。

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波が通ったあと、夕日に照らされてキラキラ輝く砂を見るのが好き。どうしても目がいってしまう。

 

 

 

今後のクラスなどのスケジュールはこち
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●6/23(金)呼吸と体で自分の本質を思い出す〜呼吸の1Dayワークショップ〜

●6/26(月)オンライン講座:生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜

●7/1(土)  本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する vol.0

●7/7(金)〜13(木)

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師と仰ぐ森田愛子先生の本のライティングを担当しました。
とってもやさしく書いたので、気楽に読んでいただけるかとおもいます。

2017.5.29〜6.04 日々のこと

5月29日(月)

なんとなく西方面にひかれて、会いたい人もいるし、来週小旅行をすることにした。TSUTAYAで旅本などを読みながらイメージを巡らせる。とりあえず、会いたい人とは高松で落ち合うことにしたけれど、それ以外はまだどうしたいかわからないなあ。

1週間前も1週間後もすごく遠い。だから、先の予定ってなかなか立てにくいし、入れないようにしている。決めたから、という理由で行動するのがとても難しいので。決めていても気分が乗らなかったら大抵のことは直前でもキャンセルしてしまう。

目の前にその人がいるって奇跡だし、会いたい人になんの苦労もなく会えるっていうのも奇跡。目の前に、生きたその人がいるときに、その人と共にいる、をやらないでどうするんだ、とおもう。あれこれ先のことを考えたり、実態のない世界に引き摺り込まれている場合ではない。

明日も普通に会えると思っていた人と、急にいつも通りには会えなくなり、最終的には死んでしまう、というのを経験して以来、いつか、って思ってるその日や、いつも通りの明日は来ないかもしれない、という緊張感は結構いつもあるかもしれない。

ココナッツミルクのヨーグルトを仕込んでみた、どうなるかな。

 

5月30日(火)

なんとなく、もんわりしている今日。朝見たら、ヨーグルト、いい感じにできあがっていた。ココナッツの香りがしておいしい。

あれをやってあげたんだから、これやって、というような交換条件を提示された場合。その人からは、そっと、しれーっと逃げる。「あれ」をするのはその人の自由、「これ」をするかどうかは私の自由。

夜、広島から葉山に来ているなっちゃんとごはん。

言葉は便宜上使ってます、くらいの相手と一緒にいるのは楽でいい。どのレベルでコミュニケーションしようとしているのか、が一致しているってことでもあるんだろう。私の場合、伝えたり共有したりしたいのは、ストーリーじゃないので。

なっちゃんとおしゃべりしながら、来週の旅行、高松の後、岡山に行くことになんとなく決めた。目的はないけど、なんとなく、岡山。観光にあまり興味がないので、どこに行っても結局はのんびり気ままに過ごすだけ。 

 

5月31日(水)

岡山に行こう、と決めると岡山がらみの情報が入ってくる。こうやって、見たいものを見るんだなあ。

午前中、つぐみんに来てもらってヘナ。ピッタが気になる今日この頃、ローズウォーターをベースに。自分で切った前髪もととのえてもらう。

そしてこれからバガヴァッドギーターのクラス。

行ってきました。今回は初めての人がいたので、イントロダクション。もう10回以上は聞いている内容だけれど、毎回新しい発見がある。今回は、マズローの五段階欲求とギーターで説かれている内容との照らし合わせが話題になり、それが面白かった。

そう、世の中で目指されている多くのものは、いかに五感やマインドを満足させるか。それはつまり、自分をマインドや体、と捉えていることから起きる。なのでその辺にはあまり興味が持てない。だってすぐ飽きちゃうから。マインドも体も刻一刻と変わっているわけで。「セルフ」で生きるのか、「セルフイメージ」で生きるのか、その違いでもある。

しあわせに生きることが目的ではなくて、それはベースでしかなく、そこから無条件の愛をしる、それがギーターの説く生きる目的。

とはいえ、肚から生きる、というとき、それはいわゆる「しあわせ」とは違う、ということも起きる。マインドや肉体的には、げ〜超辛い〜ということもある。そういう時、何か大きなものへの信頼、自分への信頼がモノを言う。その「信頼」を取り戻すために、繊細な体感覚を取り戻すことは遠回りに見えて実は超近道、だとおもっている。だから私は体を使ったあれこれや体に関するあれこれをシェアしてるんだとおもう。

 

6月1日(木)

潮が引くのを待って海へ。呼吸・整体で週末に習った「立つ」練習と「骨盤転がし」をコツコツしていて、それをしてから。陸で立っているときの安定感ももちろんガラッと変わるし、呼吸もおもしろいように変わるのだけれど、サーフボードの上に立つ感覚が全然、違った。安定感の質が違う。バランス崩して板から落ちる気がしない、というレベル。そして、波の捉え方が繊細になる感じ。波との一体感、ではなく一体である、という感覚。さらに上半身がとても自由。その感覚がおもしろく、気持ちよかった。今まで、ちゃんと「立って」なかったんだなあ。この「立つ」と「骨盤転がし」については、おいおいWSなどでシェアすると思います。

夕方、とーさんのところへ猫の爪を切りに。久しぶりに会う猫たち。猫たちへの執着や依存から自由になった、ら、関係性も楽に。来週からしばらく同居するので楽しみ。どんな距離感になるかな。

プロフェッショナルの岩合光昭さんの回を録画しておいてくれたので観る。印象的だったのは「在り方とは生きるために動くこと」という言葉。

 

6月2日(金)

朝から強い南風。

立派なズッキーニとトマト、両方が手に入ったらするべきことはただひとつ。ざくざく切って、厚手の鍋でオリーブオイルで炒めて、塩をふって蓋をして15分くらいコトコト。味付けは塩だけ。スパイスなども一切なし。これがとんでもなくおいしいのです。

エリカがくれたキヌアを多めに混ぜてごはんを炊いたのにかけて食べる。キヌアをかなり多めに入れたので、クスクスっぽい雰囲気になった。ズッキーニとトマトのにすごく合う。キヌアごはん、軽くて消化も楽な感じ。これからの季節の定番になりそう。

それにしてもなんだってこんなに夏っぽいものが今日は食べたいんだろう、と思ったら夏日だったんだ。

 

5月27日(土)

混んでいる時間を避けてサーフィン。「立つ」と「骨盤転がし」、上級者だとどんな変化があるのか知りたくて中嶋さんにモルモットになってもらう。動きを伝えて、しばらく練習してくれることに。楽しみ。私は相変わらず調子が良くて、サーフィンがなんだかとても楽しい。

近所で開催されているワンカリフォルニアデイにちらりと。中嶋さんが板を見に行くというので。いろいろ見て、話を聞いていたらフィッシュテイルの板にぐっと興味がわいてきた。どちらかというと攻める系の板ばかり乗っているので、次はゆったり系いいかも、ともおもっていたけど、ぎゅんっとスピードが出てターンしやすい、ってすごく魅力的。

天気が良くて、なんとなく浮かれた雰囲気で、夏っぽくてよかったけど、お酒を飲んで酔っ払っている人が大勢いるところって苦手。「自分」から離れたゾンビの群れのような感じ。板だけ見て、すぐに退散。

明後日からの旅行、高松まで新幹線で行くと結構時間がかかる…。新幹線って私にとっては結構体に負荷がかかる感じ。どうしようかな。だったら、夜行バスに乗ってみるのもいいかも。

電話してみたら、夜行バスは満席。飛行機はなんか面倒。やはり新幹線か。新幹線のいいところは、予約などをしなくていいという気楽さだ。気楽さって、私にとっては結構大事なポイント。

ふいに麻婆豆腐が食べたくなって、夜ごはんに作る。最後に豆板醤を入れて、というところで豆板醤がないことに気づく。がーん。味噌とチリで代用。おいしくできたのでよかった。花椒のビリビリ感。夏。

  

5月28日(日)

物事の根っこ、なんでそうなったのか、を探るよりも、
今どこにいて、どこへ行きたいのか、を大事にしたい。
地図を見て、どの道を歩いてきたのかを確認するのではなくて、
目的地を見据えて向かっていくような。

 

 

 

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日々の中にある美しいものを丁寧にすくいあげていきたい。

 

 

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2017.5.22〜5.28 日々のこと

5月22日(月)

いつもより遅めに目が覚めた。なんとなく今日はおやすみデーにしようと思い、洗濯とか掃除とかは一切なし。9時を待ち、郵便局に行って、本日のタスク終了。歩きながら、そうだそうだ、12年前、この町に住むことにした決め手は商店街で、徒歩でいろいろ済ませられるのがいいなとおもったのだった。そこかしこからお花のいい匂い。

昆布の佃煮にうっすらとしたカビを発見。大根の塩麹漬けもちょっと怪しい。冷蔵庫の温度設定を中に変更。そろそろ佃煮作るときにはなんかしらのスパイスが必要か。ぬか床は1年でいちばん調子がいい時期。最近の私の流行りは、ゆりこさんとなおこさんにいただいた味噌をごはんにのせて食べること。しっかり発酵していてとても好き。3年ものと言っていたかな。

南風が強くて、海の香りも強い。どうも風に吹かれるのが苦手。そよ風とかならいいけど、強風だとなんだかどんどん落ち着かなくなってイライラしてきてしまう。

なので家にいようかと思ったのだけれど、どうしてもホームセンターに行きたくなり、自転車で。

キッチンの蛇口を買ってきました。もともと付いていたのが、握って回すタイプで使いにくかったので、それを交換。抜群に使いやすくなって嬉しい。やはり風は苦手だったけど。

 

5月23日(火)

今日も朝から風が強い。クリストが海を見に来るといっていたけれど、日にちを変えることにする。さて、今日は何しようかな、とおもっていたら、たち消えたと思っていたプランが消えていなかったことを知る。結果オーライ。

というわけで、ヤムナさんとサヴィちゃんとエコモでランチ。1周年記念で今だけビュッフェ。おいしかったけど、たくさん食べたいわけではなく、単においしいものを食べたいだけなので、ビュッフェをめがけていかなくてもよかったかも、ともおもう。

午後、サヴィちゃんとビーチでだらだら。風が強いのはサーフィンには不向きだけど、ウインドサーフィンは楽しそう。そしてビーチでごろごろするのにも、暑すぎずちょうどいい。

夕方はひろみちゃんのところへ子猫を見に。子猫ってずっと見ていられる。人間の赤ちゃんもだけど。まぶしい無垢さと生命力よ! モヒニが里親になることに。うふふ。これから楽しいことがたくさん起こるねえ! この世から消えてなくなればいいのに、とおもう回数が一番多いものは、ペットショップ。そして動物園と水族館。ペットショップのガラスや動物園の柵を壊して回ったらどんな気持ちになるだろうなあとよくおもう。

 

5月24日(水)

キッチンの水道を使うたびに、しみじみとよろこばしくおもう。蛇口、変えてよかった。

なんだか今日は体が重い。ので、食事も軽くして、のんびり家で過ごすことにする。新月が近いからとか、マヤ暦の新年とか、星が、とか、エネルギーが、潮が、とか、いろいろ情報はあるけれど、答え合わせは別にしなくていいな、とおもう。大事なのは、今、体を重く感じている、ということ、それだけ。体はなんでも知っている。

夜、さかもとさん、むらさん、インスと会う。7月のハワイ島リトリートのミーティング。むらさんのパドルをきつく感じるという話が、過去生や意識の話に直結していく。まあこのメンバーだもんね、当然そっちに行くよね(笑)。私は呼吸と体の使い方について口を出す。たかがパドル、されどパドル。いろんな意味で。久しぶりに夜中まで活動。

自分の中にある二極、そのどっちもがある、に気づくことのパワフルさ。
陰陽のバランス。

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5月25日(木)

久しぶりにオフショア。というわけで寝不足だけど、とりあえず海へ。気持ちのいい朝の海。朝が寒くないっていうだけでしあわせ。

昨日の夜に気づいた自分の中の二極。こっちばっかりに意識を向けていたけど、実はこっちもあったんだね〜。ということに気づく、それだけといえばそれだけなんだけれど、見える景色が昨日までとは違っておもしろかった。ので波乗りはそっちのけで、その感覚を楽しむ。私とそのほかのひとの集まり、ではなく個の集合体というあたたかい感覚。は〜。身体の陰陽のバランスをとった時の統合感と同じ。

ハワイ島リトリートメンバーで七里ヶ浜でブランチ。リトリートに向けて、みんなの流れがぐぐっと。リトリート、もう始まってるんだなあ。ハワイ島のエネルギーに後押しされたらどうなってしまうんだろう。ドキドキ。自分の本質に気づく、意識のシフト、それは古い自分の死でもある。死と再生。破壊と創造。ワクワク。ますます楽しみになってきた。

何をするでもなく、1日みんなで、でも、思い思いに過ごす。このメンバーといるのはとても楽。

曇りではあったけれど、ずっと外にいたのでちょっとピッタ上昇感。帰宅後、モーレツにサラダが食べたくなる。というか、お腹は空いているんだけれど、サラダしか食べたくない!という感じ。大根のはちみつ梅酢漬けとキャロットラペを作り、作り置きのピクルスとザワークラウト、たっぷりのサニーレタスをひと皿に盛り付けてサラダプレート。満足。

 

5月26日(金)

雨。新月。こまごまとしたことをあれこれしようかな、とおもっていたけれどやる気が出ない。ので、だらだら過ごすことにする。ここ数日『エイズ 予防と治療の新知識―アメリカからのレポート 』を読み返している。前に読んだときよりはピンと来るところが多い。最初にこれを読んだときは、どうにかして治してやろう、と意気込んでいた。それと同じ強さで、その裏では、治ったら困る、とも(どっちだよ…)。でも、今は別にどっちでもいいかな、という感じ。治ったら治ったでいいけれど、薬を飲む煩わしさがない今、セックスくらいしかまあ特に不自由ないし。

お昼。お腹が空いたけど、何が食べたいかわからない。とりあえずキッチンに立ち、勝手に体に作らせることする。ごはんを炊いてお味噌汁。途中、そうだ、昨日のサラダプレートおいしかったし、サラダ丼にしよう! とあれこれ冷蔵庫から出して見たけれど、最終的にはアボカド納豆丼になっていた。わさび醤油とごはん。うん、この味食べたかったやつ!料理ってライブというか即興。あれこれ考えずに、体に勝手に作らせるようにすると、おいしいものができあがる。

月曜日、洗面台に小さなゴミがあって、水をかけたら動いて、それは小さな虫。クモのような。慌てて水を止めたけれど、大丈夫だっただろうか、とおもい次の日。まだ同じ場所にいる。死んじゃったか…ごめん、とおもってまた水をかけたら動いた。なんどもごめん!  できるだけ水がそこにかからないように気をつけて水道を使う。昨日まで同じ場所にいて、虫って全然動かないのかな。それとも水がかかったから静養中? とおもっていたら、今日、少しずれた場所に移動していた。シンク内に住む気?

夜、逗子の花火大会の音が聞こえてきた。今年は花火大会に行きたい。人が多いしな、と長いこと行っていないけど、最近人混みでもそんなに長い時間でなければ楽しめるようになってきた。

さっき見たら、虫、いなくなっていた。

 

5月27日(土)

今日もまた風が強い。午前中は月に1度の金継ぎ教室の日。今日はようやく金を蒔くステップに。とはいえ蒔いたのは金ではなくて、真鍮と錫だけど。光りすぎない感じが好み。次回でとりあえず、全行程を終える、はず。教室に通う前、何度か自分でトライして上手にできなかったところ、習ってみたらすんなりできた。ので、もう少し通ってちゃんと覚えたい。でも、もう割れたり欠けたりした器がない…。金継ぎを習いたいなと思ったのは20代の頃だったけれど、その頃は洋服や靴ばっかりにお金をかけていて、金継ぎするような食器を持っていなかったのだった。今では暮らしのものばっかりにお金をかけていて、洋服や靴は二の次になっている。バランス…。

夜は呼吸・整体の研修。研修というか、私にとってはお楽しみの会というような感じ。当然学びの場なんだけれど、肩肘張って頑張るような場ではないし、何よりいつも新しい発見があり、学びが深まる。終わりなき探求は楽しい。

 

5月28日(日)

1日、呼吸・整体研究会。アジャスト、人との関わり方がなんとなく腑に落ちた。NVC(NonViolentCommunication/ノンバイオレントコミュニケーション)でいうところの「共感的に聴く」を体でやるとこう、という感じ。 「共感的に聴く」のも慣れや練習が必要なように、体を通して他者と関わるその方法もやはりそう。共通して言えるのは、「我」をなくすこと、今ここにいること、とも言える。マインドレベルでできることには限界がある、というよりも、限界をつくる。自分にも関わる相手にも。それぞれが、それぞれのペースでそれぞれの人生をつくっていく、そのパワーがあることへの信頼。それってつまり相手のいのちへの信頼。信頼して、ただ寄り添う。そうされた時に、自分で自分にかけていたリミッターが解除されていく。それが支え合うっていうことなんだとおもう。愛ともいうのかもしれない。

うすらぼんやりと考えていた今後の活動のひとつがなんとなくまとまってきた。これは近日中に発表しようと思います。

 

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ひろみちゃんちの子猫。子猫に向かって、明日までに体重50g増やしておくように! なんて言っている人がいたら、おいおい大丈夫か…と思う人が多いと思うけど、それって、悲しんでいる人に、悲しむのやめなさいよ!と言うのと同じ。アジャストするときに、こっちじゃなくてこう!と力づくで型を取らせるのと同じ。それぞれのペースってもんがある。

 

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2017.5.15〜5.21 日々のこと

いわゆる「仕事」の日数の少なさに、毎日何してるんですか?とよく聞かれる。
ので、日記を書くことにしてみました。
アラフォー、独身、一人暮らし。
日々、わりと満足して生きてます。

 

5月15日(月)

午前中、月に一度、T-siteで開かれている蚤の市へ。気にいる醤油差しがなく(今まで使っていたのは機能的でシンプルでとても良かったのだけれど、元同居人にあげた。そして、もう一度買うかどうかというと、なんとなく気分を変えたい)、ホーンジーのビネガーボトルを醤油差しに使うのはどうかな、と思いそれが目的。いつもホーンジーのものは豊富にあるので。でもなかった。残念。いくつか本を読み、エッセイを1冊買って帰る。本にお金は出し惜しみしないというのは父から学んだ。

お昼ごはんに作った大根のお味噌汁。大根が繊維っぽくて硬い。初夏なんだなと思う。さて、この大根をどうしようか。薄くスライスして塩麹漬け、切り干し大根の素揚げが美味しいことを思い出し、細切りにして干す。

生理が近づき、体感覚が薄くなってきている。そういう時って不安になったり、気持ちが揺らいだりする。まあしょうがないね。デトックスの準備。

 
5月16日(火)

波がないので、海まで散歩。最近気に入っている八百屋さんでサニーレタスとズッキーニを買う。ズッキーニは、オリーブオイルで焼いて塩胡椒で食べるのが一番好き。去年は立派なズッキーニに出会えなくてあんまり食べなかったけど、これはすごく立派だった。

夕方、IKEAでサヴィちゃんと待ち合わせ。鎌倉まで原付で行き、ヤムナさんにチャイを一杯もらい、車を借りてIKEAへ。方向音痴だけど、一人で車を運転するのは結構好き。IKEA愛のあるサヴィちゃんにIKEAについて色々教えてもらい(IKEAの楽しみ方や、理念や色々)すっかりファンになったのは数カ月前のこと。今回はベッド用に大きいクッションが欲しくて探しに。ぴったりのが見つかり嬉しい。

その足で、美女と野獣を観に行く。美女と野獣は昔からなんか好きで、多分初めて買った英語の本は美女と野獣。音楽も映像も素晴らしくて興奮。映画って、そんなに観てこなかったけど、映画が好きになったような感じ。映画を作る人ってやっぱり、あの大スクリーンとあの音響ありきで作るんだろう。家で観るとストーリーが微妙…と思うことが多いけど、そりゃそうだ。美女と野獣、もう一度観に行きたい。行こう。

 

5月17日(水)

夜、とても久しぶりにバガヴァッド・ギーターのクラスへ。頭で理解しようとすると、自分からどんどん離れていく感じがあって、距離を置いていたのでした。気をつけていないとやっぱり、プレゼンスから離れていってしまう。そことの付き合い方だな。

今日の節は

体内にあまねく充満しているものは
決して傷つかず壊されもしない
たとえいかなる人でも方法でも
不滅の魂を滅ぼすことはできないと知るべきだ

ちなみに、魂の大きさは「一本の毛先を百区分し、その一区分をまた百等分する。これが魂の寸法である」とのこと。

とてもしっくりきた。魂ってどこか一点にどん、とあるのではなくて、小さいツブツブとして体中にあるんじゃないか、私はそのツブツブの集合なんじゃないかという感覚が最近あったので。それに関しての色々な説明を頭で理解しようとしてみたけれど、途中で、それを理解することより体で感じてることの方が大事だな、と思い直し追求をストップ。

 

5月18日(木)

IKEAで買ったクッションがとても心地よくて、1日ベッドで過ごすことにする。本を読み、そのままうたた寝、そしてまた起きて本を読む、を繰り返す。久しぶりにリズ・ブルボーの本を読み返してみた。たまにはこういうのもいい。

夢うつつで、あれ、なんか、葉っぱに雨が当たるような音がするなあ、と窓の外をみてみたら、大粒の雨がポツリポツリと。急いで洗濯物をしまう。直後、スコールのような大雨。雨に気付けたことを嬉しく思う。

 

5月19日(金)

午前中はPC作業。週末のテキストの最終調整。うすらぼんやりとした集中状態、というと矛盾しているような感じだけれど、その状態だとサクサク仕事が進む。ツブツブの私よ。

ここ最近は、爽やかな香りよりも重めの香りがしっくりくる。もっぱら白檀。ヴァータ上昇期だからかな。

午後、買い物に行き、駐輪場(と思っていた場所)に戻ると駐車違反の紙が!がーん。。駐輪場がいっぱいで横にはみ出ていて、そこは歩道であった…。法律を守るのはなんでかというと、それを守ることと守らないことを天秤にかけたときに、守るほうのメリットが大きいから。なんだそれ、というものもあるけど、この国に住んでいる以上、仕方ない。その中でできる限り自分が自由でいられる道を選ぶだけだなと思う。

お茶を飲み、フルーツを食べ、気を取り直して、ローズマリーバームを作ろう。 母に頼まれていたもの。

作りました。ついでにグラノーラも焼き、豆乳ヨーグルトも仕込む。キッチンであれこれしているのは好き。いろんないい香りが充満していい気分。

 

5月20日(土)

自分のまんなかを見つける2日間の場、1日目。東京では初の内容。こぢんまりと密な感じなのは久しぶりで、それもまたよかった。こんなふうに場を持っているときって、しみじみとした幸福感がある。湘南でもやろうかな、6月にでも。

終了後にちえこさんのお店で久しぶりに過ごす。女子トークに花が咲き、たくさんわらった。

誰も自分を傷つけることってできなくて、唯一できるのが自分自身。

 

5月21日(日)

夏のように暑い日。待ってました!夏がくる!とおもうとウキウキする。

2日目も無事終了。場を作るとき、私にとって一番大事なのって、自分が肚とちゃんとつながってるかどうかで、そしてそうあるとき、自分の腑に落ちていることしか口から出せなくなってくる。ふと、これって筋が通っているだろうか、とかこれって参加してくれている人は求めてるかな、そういう自分への疑いが出てくる。出てはくるんだけれど、とても遠い場所にあって、対岸の火事のような。

終了後、ふらっとやってきたひでおさんに会えて和む。あの、ちょっと異次元にいるような佇まいとオープンなところ好き。そしておきまりのテトカへ。久しぶりの王様。口は悪いが優しさが滲み出ちゃってて、なんとなくそれを自分で照れちゃっているようなところがキュートだなといつもおもう。

 

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お茶を入れるとき、お湯を勢いよく注いでしまって、持ち手がするっと滑り落ちてしまう、ということがよくある。このときは、落としてしまったけどなぜかきれいにおさまった。

 

 

 

 

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引っ越しにまつわるあれこれ

気づけば、かなりしばらくぶりの更新。
2月〜4月は引越しのバタバタであっという間に過ぎていきました。
子供の頃、1年とか1年半で引越しをしていたので、
住む場所を動くことになんの抵抗もなく、
むしろ、長く(数年)いると落ち着かなくなってくるくらいなのですが
今回の引越しはなかなかにたいへんで。

同居をやめて別々に住み、猫は向こうへ、という選択。
もともと、関係性には名前をつけずに(恋人、とか友達とか)
共に過ごそうとお互いが思っているので過ごす、という形態を取っていたので
同居中にも関係性は刻々と変化し、
関係性というものは終わるものではなく、単に変化するものなのだなあと
実感していたこともあり、別々に住むことへの精神的な何か、というよりは
物理的に、あれだこれだ買わなければいけない!というのが
意外にもとってもたいへんでした。

必要なものを買い足していくことにより、
だんだんと、あれもこれも足りない!モードになって
あれもこれも買わなければ!というマインドになっていくと
もう完全にラジャスの世界に突入な訳です。
何年かぶりに、お酒を飲んでみようかなと思えたのは、
ひとえにラジャスの辛さをタマスでごまかす、という典型。
これはとっても面白い発見でした。

ラジャスやらタマスについてはこちら。

remembering.hatenablog.com

そして、実際に、ではお酒を飲んでみようではないかと飲んでみると
これはもう、ものすごい麻酔のような。
体感覚がどんどん失われていき、自分のいどころがわからなくなって迷子状態。
お酒を飲んだら運転してはいけない、ということに関して
うんそれはもう本当にそうだ、と深くうなづきました。

軸足がしっかりしていると、動きがしなやかになるように
体感覚がきちんとあってはじめて、魂は自由に動けるんだろうと思います。
体というホームが安定することで、本当に自由になる。
「家」がなければ「旅」も「冒険」も成立しないようなそんな感じ。

そしてその体感覚がきちんとある状態というのは、
特別な人だけができることとかではなくて、
淡々とただ修練するのみの地味な世界の先にある、ものでもなくて
その淡々と修練する地味な世界と並列してあるもの。
それを改めて、体とともに認識したのがこの2か月くらいでした。

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猫手放したの!と驚かれたり、飼育放棄!無責任!と言われてみたり、猫問題色々ありました(笑)。それについてはまたの機会に。

 

 

 

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師と仰ぐ森田愛子先生の本のライティングを担当しました。
とってもやさしく書いたので、気楽に読んでいただけるかとおもいます。

 

体感覚が戻ると自信(自身)が戻る

www.mylohas.net


身体は自分という本質の表現体です。
身体がなければ、私たちはなにもできません。
それなのに、身体のことはおろそかにしがち。

頭が痛くなれば、痛み止めを飲み、
鼻水や咳が出れば、それらの症状を止める薬を飲み、
そんなふうにして身体が発するシグナルを押さえ込んで、
なんでこんなときに! と自分の身体を責めてみたり。

でも実は、一番大切なのは、身体の感覚なのです。
身体の感覚とともにあるとき、私たちは、今この瞬間に生きることが容易くなります。身体の感覚は、今この瞬間の現実だからです。

だから、個人セッションでもまずは身体から入ります。
体感覚がない状態で、内側を掘っていってもすぐに壁にぶつかってしまううえ、
マインドゲームになってしまうから。
それに、内側を掘るのは終わりがないんです。

でも、身体がととのってさえいれば、おおかた大丈夫。
それでもどうしてもぶつかってしまうとき、はじめて内側を見ていきます。
トラウマやインナーチャイルドの癒しはそこからでも遅くない。
というか、身体がしっかりしてくると、
それらがあっても大丈夫っていう状態になるんです。
それは自分の本質ではないっていうことが体感覚としてわかるから。
夢みたいなものを、なぜか必死に握りしめてたんだなってわかる。

対人関係とか、子育てなんかで相手とどう接したら良いかわからない
そんな場合には、マインドや心の領域にも踏み込むこともあるけれど
でも、まずは身体の感覚を取り戻すところから。

それに、感情ばかりを扱って、それを「感じきる」「感じきらなければ」ってやって
泥沼にはまって鬱みたいになってしまうケースが結構あります。
感情を感じる力だけはつくのだけれど、その筋トレで終わってしまう。
だから、まず身体。
そうして感情や心は「自分」じゃないんだって体感することがすごく大切。

楽な身体や呼吸を体験したり、
その自分でいられるような調整をしたりして、
まっとうな体感覚が戻ってくると、
なんだかわからないけれど自分が信じられるようになります。
自分で自分を信じられる力がかえってくる。
自分で自分を信じて、私はこっちに行ってみるんだって、
たとえ恐れがあっても進める力。

今の自分の呼吸はどんなふうでしょう。
これを読んでいるとき、息を止めたり、肩に力が入ったりしていませんか? 
足の裏はどんな感じがしているでしょう? 
たとえ目は文字を追っていたとしても、
そのときにも足やお尻や、全身が存在していることに気づいていますか? 
目と、そこから入る情報処理に忙しい頭だけの存在になっていないでしょうか?

心との付き合い方を知っていることは、今この瞬間にいる役に立ちます。
でも、身体に意識を向けていること、身体の声を繊細に聞くこと。
それは、たいしたことがないように感じられるかもしれませんが、
実はとても大きな影響があるものです。
まずは自分の身体をととのえることがたいせつ。
注意深くその声に耳を傾け、快・不快をきちんと感じること。
それを基準にした言動をしてみること。

心地よく、自分本来のやさしい呼吸ができているかどうかは、
もっともわかりやすい基準です。

わたしたちには、自分で自分の道を歩く力が標準搭載されています。


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春が近いね!

 

 

「意図だけ持って、あとはおまかせ」ということについて

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「意図だけもって、あとはおまかせすればいい」
というようなことをよく言っているのですが
これって、つまりどういうこと?
なんにもしないってこと?
いえいえ、そういうわけではないんです。
書いてみたらなんだか結構長くなりました。

大学を卒業してから約15年間、編集者・ライターとして働いてきました。
編集者の期間のほうが圧倒的に長いですが、まあいろいろありました。
編集長が失踪したことにより、急に編集長になっちゃったりとか(笑)。

編集者の仕事っていうのはいまいち、見えないんです。
なにやってるのかわからない。
たとえばファッション誌の場合。

「春に着たいモテコーデ50」とかそんな特集が組まれるとします。
その特集が組まれる前段階として、編集会議なるものがあります。
私の場合、企画を練るときに

まず目的を明確にします。
これが意図ですね。
そして、そのための施策を考えます。
そして、その方法を考えます。

たとえば、目的は「幸せな女性を増やす」だったりします。
その施策が「日々のファッションの悩みを減らす」
方法として「モテコーデの提案」
そんなかんじです。

これって、雑誌作りだけじゃなくてけっこういろんな場面で使えるとおもう。

目的、施策、方法。

人に説明するときにも役に立ちます。
広告モノなんかも作っていたからこんなやり方がしみついたのかもしれません。

※編集者時代は、施策、方法を「考え」ていましたが
「意図を持ってあとはおまかせ」と私が言うとき、
施策や方法は考えません。
なんか、思いつく、なんかやりたくなる、依頼が来る、そんなかんじで
目の前に物事がでてきたりします。
なんかわかんないけど、ブログ書こう、ってなったり。

まあそんなかんじで、企画を編集会議に出して、企画が通ったら
校了日から逆算してスケジュールを立てます。
いつまでに撮影をすれば良いのか、いつまでにライターから原稿をもらえばいいのか、いつまでにカメラマンから画像をもらえばいいのか、などなど。

そこまでやって、はじめてスタッフの調整です。
この企画に見合うスタイリスト、カメラマン、モデル、ヘアメイク、ライター。
撮影日はこの日かこの日あたりなんですが、スケジュールどうでしょう?
って、電話をかけまくります。
大勢のスケジュールを調整するってなかなか大変です。
この人はこの日はOKだけど、この日はNG、この人は午前中はOKだけど午後はNG…
というように、表かなんかをつくって、スタッフのスケジュールをもらいます。
そしてめでたく全員の都合が合う日が撮影日、となるわけです。

スタッフが決まったら、打ち合わせ。
スタイリストにその企画の意図を説明し、意見をもらい、そして場合によっては
ここで「方法」がかわったりします。
モテコーデより、大人かわいいコーデとかのがいいんじゃないかとか。

カメラマンとは、どんな感じで撮影するかの打ち合わせをします。
外でロケなのか、スタジオなのか?
スタジオだったらどんなスタジオなのか?などなど。
ここで絵作りを相談して、スタジオの手配をします。
これも調べまくり、電話かけまくり。
初めての場所であればロケハン(実際に現場を見に行く)もします。
必要であれば撮影用の小道具を手配したりもします。
たとえば、風船あったらいいよね、とか花がたくさんあったらいいよねとか。
(スタイリストに手配をお願いすることもあります)

撮影日が決まって場所が決まったら、必要であればロケバスを手配したり
ロケ弁を手配したり、
まあとにかく、撮影日までに編集者がすることは
相談と手配。これにつきます。
撮影日にも、編集者は特に何もしません。
必要なカット数、ページを構成するのに必要なバリエーション
(モデルが右ばっかり向いてないかとか、縦位置横位置がバランスよくあるかとか)
があるかどうかのチェック。
なんとなく全体を見ているかんじで、
媒体や企画の方向性からずれていないかだけを見ています。
これは、その後の行程でもおなじですが、
どのタイミングであっても、判断に迷ったときにはその企画の目的に立ち戻ります。
そうすると、迷いってなくなる。

で、無事に撮影が終わったら、カメラマンから画像をもらって、選んで、
ライターから原稿をもらって確認して、ふたつを合わせてデザイナーへ。
企画の意図、何を見せたいのかなどを伝えて素材を渡します。

誌面のレイアウトがデザイナーからあがってきたら、
関係各所に内容の確認をしてもらいます。
洋服の値段、問い合わせ先などに間違いがないか、とか。

必要であれば修正をして、内容を確認して誤字脱字を確認して
編集長チェックをクリアしたら、校正に回します。
誤字脱字がないか、日本語としておかしくないかなどなどを確認してくれるのが校正。

そうしてこれでOK!となったら、印刷用のデータをデザイナーにつくってもらって
それを印刷所へ回します。
印刷所内でもいろいろな作業が分担されています。
画像を処理してくれる人、印刷機を回す人、製本する人などなど、
いろいろな人の手がかかってようやく、雑誌という形になるわけです。

長々よくぞここまで読んでくださいました。
これでも結構はしょってますが、でも何が言いたいかと言うと、
編集者って結局なんにもしてないんです
(最近では編集者がなんでもやっちゃう場合もありますが)。

言い出しっぺのくせに、なんもやってない。

形に残るようなことはなにもしてない。
写真を撮るわけでもないし、文章を書くわけでもないし、
デザインやレイアウトをするわけでも、印刷するわけでもない。

でも、本ってできあがる。
お願いして、相談して、手配しただけ。
すごいことです。

長々と、編集者のおしごととは、的なことを書きましたが
意図を持つ、そしておまかせするってこういうことだとおもってます。
なにもやらないわけじゃないんです。
自分ができることはもちろんする。
でも、あとはその道のプロにおまかせする。
編集者がいろいろ指示をしないほうが、おおっ!っていう誌面ができあがる。
だって編集者は、お願い相談手配のプロだけど、
写真や文章、レイアウトやデザインをするプロじゃないから。

たとえば、印刷所からあがってきたものが、ちょっと青っぽいなあと思ったとします。
印刷ではCMYK(シアン・青、マゼンダ・赤、イエロー・黄、ブラック)の
4色で刷ります。その組み合わせでいろんな色ができるわけです。

で、青っぽいなあと思ったときに、
それを印刷所への指示として、「Cをトル」なんて書いたとします。
それで青っぽさがとれるか、というと実はそんなことなかったりします。

青っぽさをとりたい=Cをトル

そんな単純な話じゃなくて、青っぽさをとるためには、
MやYを足すっていう場合もあるわけです。
だから、「青っぽさを取りたい」という意図を印刷所に伝える必要がある。
そうすると、印刷のプロが何色を引いて何色を足せば良いのかは考えてやってくれる。

意図を伝えると、あとは適切な形でプロが実現してくれる。

人生に置き換えていえば、意図を持つ。
で、それを投げてみる。
と、現象を作り出すプロ(something great/大いなるなにか)が動いてくれる。
私は目の前にあることをする。
それは、ただなにもせずに待っているのとはちがうわけです。

こんな話をきいたことがあります。
ある旅人がいました。
砂漠をラクダとともに移動していて、夜になり一泊することに。
旅人は神さまを信じていました。
神さまは、悪いようにはしない。必ず守ってくれる。
もし、このラクダが私に必要ならば、木にくくりつけておかなくとも
朝になってもまだここにいるはずだ。

そんなふうに思って、ラクダを木にくくりつけずに眠りました。
朝起きると、ラクダはいなくなっていました。
旅人は、神さまに、
「私はあなたを信じていたのに、なぜラクダがいなくなったのでしょうか!」
と、問いかけました。
するとこんな返事が返ってきました。
ラクダが必要であれば、
ラクダを木にくくりつけておくのは、おまえのやるべきことだ。

そんなかんじです。


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