Forget for get

呼吸が変わるとラクになる

いくら学んだって変化なんかしない

〜クラス、講座など〜
●12月16日(土)@東京都文京区
Zen in Action vol.3 呼吸と日常所作2

●12月22日(金)@東京都渋谷区
"自然体で生きる"実践 in歳末の大通り(自然体に着地する呼吸ワークと自然体を馴染ませる街歩き)松永真美 x 永野辰馬

●12月23日(土)@神奈川県藤沢市
呼吸dojo〜マインドフルネスと呼吸〜

●1月16日(火)@名古屋
本当の呼吸を知ると体もココロも整っていく!究極の呼吸レッスン♪

 

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いろいろ学んだんだけれども、なかなか変化が感じられなくて。
だからもっと学ばないと。
って、そりゃそうだ、学んだって、実践しなければ何も変わらない。
自転車の乗り方を本で読んでわかったって、
実際に自転車に乗る練習をしなければ乗れるようにはなりません。

世の中には、意識を変える、すると世界が変わる、というような
そういうことも言われているけれど、
まあ、それもそうで、世界をどう見るかは変わると思う。
つまり世界が変わった、ように思う。
でも、意識を変えたとしたら、自分の行動も変わるんではないかな?

先日山梨で呼吸の合宿をしました。
参加者のひとりに、定期開催の呼吸DOJOにも参加している人がいました。
初めて会った時とは明らかに体も(顔、表情も)変わっていて、聞けば、
その時出した「宿題」をひたすら実践していたそうなんです。
で、その動機は
「やらなかったら次回会った時にやってないことがバレるって思った」から。

恐れからの行動は、よくない的にあーだーこーだ言われますが
自分が「自分」と思っているものなんて、「自分」なんかではないし
呼吸の練習については、動機なんてどうだっていいと思っています。
体が変われば、呼吸が変わります。
呼吸が変われば、マインドが変わる、のではなくて
マインドなど、どうでもよくなります。

ただやる。
それってすごく強いです。

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空気が澄んでいて、冬は夕焼けが派手。



「私」として生きる

日々をあっという間に過ぎる、とは感じていないのだけれど、
気づけば月日が流れている。
最後のブログ更新から1カ月以上も経っていた!

10月、11月、現時点で決定している講座などはこんな感じです。

●10月24日(火)@東京

【残3名】『本当の自分を思い出す呼吸』の体験〜自分本来の呼吸は、じぶんの本質を生きるに通ずる〜


●11月4日(土)@福岡

「今この瞬間のいのちのきらめきを生きる」自分本来の呼吸ワークショップ


●11月6日(月)オンラインクラス

オンライン講座| スピリチュアルコンパス〜自分の本質を生きる智慧〜

●11月11日(土)@神奈川県藤沢市

呼吸dojo〜楽な呼吸、自分の自然な呼吸を探求する〜

●11月12日(日)@東京

Zen in Action vol.2 呼吸と日常所作

 

●11月20日(月)@東京

『本当の自分を思い出す呼吸』の体験〜自分本来の呼吸は、じぶんの本質を生きるに通ずる〜

 

●11月24日(金)@茅ヶ崎

【胸を開いて、深呼吸〜♪は勘違い?〜本来の自分に適った呼吸の体験から、楽な姿勢と自分を思い出す〜

 

●11月30日(木)〜12月3日(日)@沖縄

Zero リトリート沖縄

 

●12月8日(金)〜12月10日(日)@山梨

2泊3日の呼吸集中合宿@フフ山梨〜本来の自分に還るリトリート〜

 

●1月16日(火)@名古屋

本当の呼吸を知ると体もココロも整っていく!究極の呼吸レッスン♪



ベルギーの友人が、日本に滞在していろいろな人のポートレイトを描いて
その展示をベルギーでする、ということで、それに寄せた文章です。
お題は、「女性として日本で生きる」。
割と気に入っていて、どこかで発表しようと思っていたものです。
最近は、特に、これを思って暮らしていました。

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生きていく上で、人は色々な顔を持つのでしょう。
女として、娘として、妻として、母として、などなど。
でもそれ以前に、私たちは人として生きています。
女として生きるのも、それを超えた人として生きるのも、
どちらもとても素敵だし愛おしく思います。
でもそれでもやはり、私は「私」として生きることを選びたいと思っています。

女として、人として、生きるのであれば多くの先達がお手本を残してくれています。
どんな風に生きたら幸せなのか、どんな風に生きるべきなのか。
でも「私」としての生き方は、私が最初で最後の人間です。
ですから、お手本もなければ、当然ライバルもいません。
だから、とても自由です。
何の明かりもない道を自分で照らさなければならないような、
あるいは、自分でそもそも道を切り拓かなければならないような感じもあります。
ひょっとしたらそれはとても困難に見えるかもしれません。

でも、私には「私」という強い味方がいつでもついていて、
その「私」であるとき、
私は適切なタイミングで適切なものを適切なぶんだけ与えられることを知っています。それは、「私」への信頼とも言えます。
私が悲しく思ったり、怒りを感じるような出来事であったとしても、
それは私にとって必要であると「私」が判断したものです。
だから私は安心して、その感情や出来事を体験することを楽しむことができます。

そこにあるのは、それがどんなことであっても、
身に起こることはすべて素晴らしいギフトなのだという「私」への信頼であり、
私にはきちんと自分の足で立ち、そして幸せになる力があるのだという
私への信頼でもあります。

私が「私」として生きるというのは、
なぜだかは全然わからないのだけれど、でも、この道だ! という
よくわからない確信のようなものとともに、
そして、少しの勇気、私と「私」への信頼とともに歩む道、のような感じです。
どうやら私はそんなふうに生きていくようです。

 

People have many faces, various roles through their lives.
For example, as a woman, a daughter, a wife, a mother and so on...
However, in the first place, we live as a human being.
I adore both living as a woman and as a someone beyond.

But I would like to choose living as “myself".
If I choose to live as a woman or a human being, t
here would be many examples and role models by the pioneers
and ancestors in the history : the way to live or how to live happily...

But I am only one person who pursues how to live "as myself".
I am the beginning and the ending.
So there is no role-model or rival, and I’m free.
I sometimes feel like I have to light up the dark way by myself
or I have to remove the hardships and open my own way, it may seem very difficult.

But I always have "myself" on my side,
and I know "myself" can give the right things in the right timing when I am "myself".
I trust "myself".

Whenever I face things which make me feel sad or angry,
they are what "myself" judge that I need them.
That is why I can enjoy experiencing the feelings and happenings with relief.

Things there for me are the gift for me from "myself",
no matter what it is, what they are,
and I can stand up with my feet and make me happy.

Living as "myself" is like believing this is my way with a causeless confidence
and a path with a little courage and trust for “myself".
This is the way I live.

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先月、小浜島でみた、朝焼けの中の虹。小浜島、またすぐにでも行きたい。

2017.8.21〜8.27 日々のこと

今後のクラススケジュール 

●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3

●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する

●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~

 

8月21日(月)

浜松での初めての講座。初めての場所、人、のときは少し、自分への疑いが出て来る。ちゃんと伝えられるかなとか、受け取ってもらえるかなとか。今回は80代の方も2名参加してくださった。そのうちのおひとりが、魂での深いつながりがあって、場をホールドして応援してくれていた。

連続で講座をした後の帰途で聞くのって、だいたいクラシック。ショパンを聴いていたら久しぶりにピアノを弾きたくなった。最後に弾いた曲が、ちょっと自分の中で納得がいく仕上がりではなかったので、それだけを弾く練習をしてもいいかも。ピアノを習っている時って、発表会があって、そこまでに曲を仕上げるということをしていたけど、そうじゃなくて、ただ楽しいから弾くというのを今やってみたい感じ。

 

8月22日(火)

昨日の講座に参加してくれた蓮農家のみっちゃんがくれた蓮の花。朝起きて、一番にそのことを思い出し、その姿を見たい、という思いとともに起きる。満開で、風が吹くとすごくいい香りが漂う。蓮の花ってこんなに近くで見たの初めて。見惚れてしまう。

旅から帰ると海に浸かりたい。けれど波が壊滅的にない。シュノーケルの練習…とも思ったけれど風も強い。7325コーヒーで朝ごはんを食べ、おしゃべり。

マツコの知らない世界を見たら、練り物特集。魚を食べることができていたとき、練り物って好きだった。美味しかったという記憶もある。もしかしたら今なら食べられるかも。スーパーマーケットに行って買ってこよう。

行ってきました。練り物コーナーの前に立って眺めてみたけれどどうしても手が出なかった。肉や魚を美味しく食べられたらすごく色々楽だといつも思うのだけれど、どうしても手が出ない。

 

8月23日(水)

朝ゴミを捨てに外に出たら、もう秋の風。秋に切り替わっていくときって、いつも切ない。持っている思い出のせいなのか、秋がそうさせるのか。今日は二十四節気処暑だって。

体が本格的に生理に向けての準備に入ったときの1日半くらい、気持ちが落ち込むということがよくある。落ち込みポイントは、たいてい、普通に結婚して子供産んで、奥さんやって、みたいなものへのモーレツな憧れ。毎月準備してるんだから、ちゃんと使えやー!っていう子宮の言い分か?といつもおもう。

蔦屋書店に行き、メキシコの本などを読む。メキシコ、秋にくらいにいこうかなとおもっている。あと、ハワイを思い出したくて、よしもとばななの「サウスポイント」。先月のハワイリトリートで行った場所がちょこちょこ出てきて懐かしい気持ちに。そして、ハワイのあの、エネルギーが体に充填された感じ。いつでも戻れるように、気に入った場所に自分の分身を落としてきたのだったなあ。あのハワイリトリートって、ほんと夢のような時間だった。実際、夢か現か、というところにいた。直線的な時間軸の上にはいなくて、点の上を素早く移動しているようなそんな感じ。

 

8月24日(木)

未来のことなんて心配したってしょうがないよ、そんなのどうなるかわかんないじゃん。というのと同じように、未来のことを天や宇宙や神やらに願ったってしょうがないよ、そんなのどうなるかわかんないじゃん、とおもう。

前に携わっていた雑誌の別冊が出たと聞き、よかったなあ、すごいなあ、と思って書店で手に取ったら、私がかつて翻訳した記事が結構な分量使われていてびっくり。うーん。出版業界やウェブ業界の、ライターやフォトグラファーやデザイナーに対する色々についてよく耳にするけれど、そうか、出版業界もここまで来たか。出版業界って契約書なしに物事が進むけど、不文律があって、それで秩序が保たれていた、とおもう。信頼関係でものごとが進む世界だった、私がいた時代は。そして、発注する側とされる側(編集サイドとスタッフ)は対等な関係だったし、尊敬しあっていた。だから、何も言わずに二次使用するなんて、それはもう編集者人生の終わりを意味した。信頼や尊敬、それぞれの仕事への矜持。媒体作りに必要不可欠だもおもっていたけど、もうそういう時代じゃないのかな。

 

8月25日(金)

久しぶりに波のあった朝。天気はいいけれど、やっぱりもう風が秋だなあ。

昨日から、ネットの通信速度がとても遅い。なんでだろう?いろいろ調べてみたけれど、よくわからない。ここをアジアのどこかの国だとおもって過ごそう、バリとか。と、おもいつき、そうか通信速度が遅いことそのものが問題なのではなくて、この日本で、しかもそんなに電波が届かないような田舎ではない場所でそれが起きている、ということが私にとって引っかかるのだなあ。それってつまり、この場所では、こうであるはずだ、こうあるべきだ、という考えがもとになっているっていうことだ。元に戻るまでは、ネット作業が必要な時は、どこかカフェに行くことにしよう。

 

8月26日(土)

朝はサーフィン。チンクイにやられるこの頃…。今日はもういないんじゃないか、と思って行くけれど、まだいる。今のところ、ドクダミエキスがかゆみにいちばん効くけど、なんかもうちょっとビンゴなのがありそう。

夜は呼吸・整体の学び。背中の真ん中らへんの存在が明らかになって嬉しい。ここが使えるってこんな感じなんだ! ここを知ると知らないでは、紀元前・後みたいな感じ。当然、背中の真ん中あたりは物理的には存在していたのだけれど、意識が向いていないし気づいてないからなかったことと一緒だ。呼吸の感覚が全然違う。

 

8月27日(日)

今日も1日呼吸・整体研究会。背中の真ん中が明らかになったことで、強息法の感覚が全然ちがう、というようなことなど。広く全体を学んだ後に、深掘りしていく作業。パズルのピースがぱちんぱちんと気持ちよく埋まっていく感じ。終わりなき探求。

最近、ひそかにツッコミを入れていること。ドリカムの「何度でも」の歌詞について。10002回目はまたダメになるかもしれないよね? (歌詞は10000回ダメでも10001回目はなんか変わるかもしれない、だから何度でも立ち上がろう、というような内容。)なんていうかその、ここまでいったらOK!というようなそのゴールを見据えて向かうということについて、それはもちろん悪くはないんだけれども、その過程、プロセスをやりきる、生ききるっていうことが抜けると途端に辛くなる。その途中でもしかしたら、道を変えたくなるかもしれないわけで、10001回目を目指しちゃうと、そこが変えられなくなっちゃう。結果って、後から生まれるものだ。パンの生地をこねて形成して焼くことはできるけど、その形や焼き加減を、思い通り寸分違わずぴったりに、っていうのが無理なのと同じ。

 

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秋がやってきた。いちじくのごまソース。いちじくって無花果と書くけど、花はこの食べている内側の部分なんだって。

 

 

2017.8.14〜8.20 日々のこと

今後のクラススケジュール 

 

●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3

●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する

●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~

 

8月14日(月)

午前中、つぐみんにヘナを塗ってもらい、前髪をカットしてもらいスッキリ。坊主のようなベリーショートの時って楽だったけど、今はこのくらいの長さが気に入っている。手入れに時間はかかるけど。いつかまた短くするかな。

午後、昨日からの動画作業の続き。そしてすべて終わってから、SDカードリーダーがMacBook Airにもついていたことを知る(ないと思い込んでいて、とーちゃんに借りて作業していた)。ジョブズ亡きアップルはこんなのをつけていたのか(いまさら)!

 

8月15日(火)

朝、七里ガ浜でシュノーケル。曇りだったけど練習ということでCに連れていってもらう。サーフボードなしで、足のつかないところでこんなに長居したのは初めて。潜りたいのだけれど、パイプに入った水を上手に出せず、水が入ると緊張してしまう。そしてやっぱり、海の底にある岩を見ると怖気づく。それでもとても気持ちよかった。足の着くところで水を出す練習をちゃんとしよう。

なかなか好きだと思う映画がないのだけれど、今日見たハッピーギルモアはよかった。こういう単純で面白いのがすき。

夜、ちょっとした行き違いで久しぶりに結構ガツンとくる体験をした(この体験が後にいろいろなことに気づく鍵になったので、これについてはまた書こうとおもいます)。

 

8月16日(水)

お昼くらいまで夢か現かな感じで過ごす。夕方、渋谷で、りかさんと海くんと会う。ものすごい巡り合わせのご縁から。面白いなあ。昨日の出来事をまだ引きずっていたけど、海くんに話して少し楽になった。ただ聴く、をしてもらえる安心感のある仲間がいてよかった。それだけで流れていくものが結構ある。

夜、アルムとごはん。久しぶりの東京で夜ごはん。遅くまで開いているお店がたくさんあって、明るくて、なんだかカルチャーショック。アルムのシェアハウスまでの道に銭湯があって、寒かったのでざぶんと入る。昔ながらの銭湯という感じの風情が良かった。そしてアルムのシェハウスへ。ずっと会いたかった猫のウタに会えて嬉しい。久しぶりに日本の神様カードを引いたり、OSHOの禅タロットを引いてみたり。カード類、メッセージはどこにでもやってくるからもういいや、とおもって数年前に手放したけど、カード使うとわかりやすくていいな。

 

8月17日(木)

朝、まゆみちゃんとミーティング。東京で講座を開くので。待ち合わせに向かう途中、自分がどれだけ色々コントロールしたいかに気づいてどかーんとショック。おとといの出来事が引き金。もしかしたらこれは、待ち合わせに泣きながら登場というわけのわからない状態か?と思ったけれど、(都合よく?)迷子になり、一旦収束。着く頃にはすっかり忘れて、普通に打ち合わせ。講座、とても楽しみ。

そして本日のメインイベント、ダイアログインサイレンス。の前に、石井さんとすけさんとランチ。とりとめなくも、実のある会話。気楽さと楽しさ。

ダイアログインサイレンス。音のない世界での対話、コミュニケーション。音を遮断するヘッドセットでちょっと頭と息がぎゅーとなったけど、行ってよかった。最近いまひとつコミュニケーションがうまくいっていないような感じがする相手がいたのだけれど、ダイアログインサイレンスを終えて帰ったら、そうだ、言い訳とか、なんかそういうのはなしに、自分が本当に伝えたいことを、核だけを言えばいいんだ、とわかった。

そして、伝えた。あなたのことを大切に思っていますよ。それだけだった。そこに付随する色々に気を取られていたし、そこから伝えようとしていたけど、あなたが大切です、のところはそこはブレない核なので、まっすぐに伝えられるし、そういうのって伝わる。

 

8月18日(金)

岐阜のくーちゃんのところへ。でも大雨で電車がストップして名古屋駅で足止め。することもないし、と書こうと思っていたブログを一気に書く(この記事、反響がものすごくてびっくりした!)。HIVのことって、私にとってはとても身近で普通のことだったけれど、そうか、多くの人にとってはそうではないんだな、というのがよくわかった。

3時間くらいで電車が動き始めて、岐阜に着いたら晴れ。マイクも駅まで迎えにきてくれて嬉しい。マイクはなんとなく恋人的な存在でたまに会いたくなる。今はずいぶん歳が離れているけど、昔デートしてたんだって、マイクと私。くーちゃんと女子トーク、みんなでゲーム、そして花火。なんか夏休みっていう感じで楽しかった。夜はマイクと一緒に眠る。

 

8月19日(土)

名古屋での講座。もはや慣れ親しんだ場所になってきたこの場所。「肚で生きる」がテーマ。魂といってもいいし、本質といってもいいし、まあなんでもいいんだけれど、あるがまま、を体と頭で理解してもらえたようにおもいます。ランチはいつものようにれいちゃんのお手製。とてもおいしいし、五葷抜きのベジにしてくれているので二日連続ワンデイ講座をするのも楽。

夜は、味噌煮込みうどん屋さんに連れていってもらう。お店の人がとても感じよくて、色々面倒なオーダー(かしわと卵とかまぼことネギ抜いてください)にもかかわらず、出汁は大丈夫ですか、と聞いてくれて嬉しい。またきます。赤味噌、やっぱり好き。

 

8月20日(日)

名古屋で講座の日の朝のお決まり、それはコメダ珈琲。トーストのサイズが朝ごはんにちょうどいいところも気に入っている。いつも行く店舗は、マーガリンじゃなくてバターだし、トーストの焼き方も上手で、なぜだかあんこも美味しい。

今日は午前中が復習会、そして午後がステップアップ。つまり、一度会ったことのある人だけが来る会。なんとなく気が楽。そしてともに深めて行く仲間という感じも嬉しい。呼吸が肚で生きるとか、マインドフルネスとか、その辺全部とつながっている、というのは多分経験体験の数が増えると腑に落ちるところなんだとおもう。

 

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今年最初の花火。もう一回くらい花火したい。

 

 

HIVを武器として使っていた話 1

19歳の時にHIV感染。
感染理由は、当時の恋人(その後ほどなくして亡くなりました)とのセックス。
来年、PWHIV(Person with HIV/HIVとともに生きる人)としての人生が
そうじゃない人生とちょうど半分になります。
PWHIVとして生きることでのあれこれは、書こうと思えば結構書けるとおもうけど
今回は、HIVを武器として使っていた話。

感染当初に決めたことは「HIVのせいで」と言わないこと。
それは、言わないだけじゃなくて、HIVのせいで諦めなければならないものをなくす、ということ。
HIV/AIDSについての知識はあったので、
私のHIVに関しての認識は「大したことだけれど大したことではない」でした。
その他多くの病気と同じ。
この認識を持つに至ったのは、Susan Sontagの”Illness as Metaphor and AIDS and Its Metaphors (Penguin Modern Classics)”が大きく影響しています。

そんなわけで、わざわざカミングアウトもしないし、隠しもしないと決めた。
話の流れでそうなれば言うけれど、あえて、あのですね、私実は…と発表もしない。
風邪を引いたときと同じようなイメージ。

さらには、HIVを有効に使うこと。
せっかく数少ない感染者(その年の感染者は5人)入りしたのだから、
そこから見える景色をシェアしたり、HIVに関する多くの人の誤った認識を正そう、とか。
バリアフリーな社会を作りたかった。
どんな状況にある人でも、おんなじように大切にしあうような、思いやりのある社会。

今覚えばなんて決め事が多かったんだ! とおもう。

そんなわけで、HIVによって諦めた具体的なものとして認識しているのは、
海外留学とラクロス。海外での薬の入手の問題と、薬の副作用で運動どころじゃなかった、というのがその理由です。

HIVはセックスで感染します。
セックスが愛の行為とするならば、その愛の行為によって
大切な存在に厄介なものを渡す可能性があるということ。
私にとって、この一点がHIVを「大したもの」にしていたし、それは今もそう。

でも、それでも当時の私は、HIVが試金石になってちょうどいい、とおもっていました。

つまり、こういうことです。
「私、PWHIVだけど、あんたそれ受け入れられんの?」

もはやパワーオーバーでもあり、パワーアンダーでもある、わけのわからない状態だ!

HIVというジョーカーをすばらしく適切な時に出してきた。
なんとなく仲良くなった男性がいて、そして、これって恋愛に発展するかもという予感がして、
そして、今!というタイミングでHIVのことを話す。

相手はもう私のことを好きになりはじめているので
HIVがいいスパイスになってそして余計燃え上がる。
まだ死なないよね? とか、俺がずっと一緒にいるから、とか、代わってあげたい、とか、そんなことで俺の気持ちは変わらないから、とか、自分も感染したっていい、とか、そういうのを面接官としての私は散々聞いた。

そして相手は(おそらく)意を決してセックスにのぞむのだけど、もうそれで終わり、ということも多々。我ながらひどい女だ。

PWHIVだけど、私は大丈夫。
という確認のため、
そして、HIVを理由に恋愛がうまくいかない、
なんてことがないように。
(だからずっと恋人はいたし、なんなら結構ダブったりもしていた)

そうしないと、HIVが大したものになってしまう。
そんなに大きいもの、扱えない。

自分を守る武器として散々HIVを使ってきて、
でも結果的に全然守れてなんていなかったし、
(ある部分では確かに守れていたのかもしれないけれど)
散々それをほぼ無意識のうちにやってきて、
私が求めているのって、そういうんじゃない、とかなりかなり後になって気づきました。

で、それをやめるって決めたらもう、どうしていいかわからなくなっちゃった。
丸腰の自分。

 

長くなるので2に続きます。

 

 

今後のクラススケジュール 

●8/19(土)@名古屋 肚で生きる練修〜みんなのための呼吸の1day・ワークショップ

●8/20(日)@名古屋 呼吸の復習・stepup ワークショップ

●8/21(月)@浜松 自分の本質を生きるためのワークショップ

●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3

●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する

●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~

●10月 沖縄リトリート(詳細後日発表)

 

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岐阜まで行きたいのだけれど、大雨の影響で名古屋駅で足止め中。 

 

 

2017.8.7〜8.13 日々のこと

クラススケジュール 

●8/19(土)@名古屋 肚で生きる練修〜みんなのための呼吸の1day・ワークショップ

●8/20(日)@名古屋 呼吸の復習・stepup ワークショップ

●8/21(月)@浜松 自分の本質を生きるためのワークショップ

●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3

●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する

●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~

●10月 沖縄リトリート(詳細後日発表)

 

8月7日(月)

「自分の面倒を見られるのは、自分しかいない」という言葉にハッとした、ととーちゃん。そう、そうなんだよ。不調を感じていても病院に行ったらなんともないって言われた、って頑張っちゃう人とかいるけど、大事なのは、今自分が不調を感じている、っていうこと。なんにつけても、それが体調不良とかじゃなくて、気持ちの浮き沈みだったりしても、原因も理由もそんなの探す必要はなくて、今自分がどう感じているか、それがいちばん大事。そこに気づかないことには、ずっと思考の世界、自分で作った檻の中にとどまりつづけてしまう。

 

8月8日(火)

未明に満月で、月食。明け方近くまで寝付けなかった。月食のときっていつも結構影響を受けてしまう。台風と重なったから余計か。遅めの起床。お味噌汁に残りごはんを入れてギーを入れたのを朝ごはんに。そしてまた眠る…。

映画づいているこの頃。「白河夜船」を観る。小説の映画化って、ああ、この映画を作ったひとはそういう風に読んだんだ…と驚くことが多い。 同じものを読んでも受け取るものは当然人それぞれだし、それを元に作品を作るとなると、それはもう元のものとは違って当たり前。でも、元の作品の本質だと私がおもっている部分が感じられず残念。

8時8分から小浜島リトリートの件で村さんとオンラインミーティング。するするとなんの引っかかりもなく告知に至ったけれど、自分たちの意図を表現することが欠けていた。ので、そこを合わせてもう一度発表し直す。このリトリート、改めてすごく可能性を感じる。頭と体でちゃんと理解をする、というのはほかではあんまり見られない気がする。

 

8月9日(水)

久しぶりに軽い板でサーフィン。乗ってからの楽しさはやっぱりこっち。しばらくこれに乗ろう。それにしても暑い日。さすがにエアコンを入れた。ちょっとこの暑さに体が疲れてきている。

夜、サヴィちゃんとBLUE MOONへ。今シーズン初。BLUE MOONは静かなところが好き。あと、チャイが美味しい。

何かにつけ、言い訳を、それも正当って思えるような言い訳をつけたくなるけど、それはもういいよね。例えば、やりたいことややりたくないことについて、それについての真っ当な理由を探してみたり。会いたい人がいたとして、その人に会うために理由を作ったり。やりたいからやる、やりたくないからやらない、会いたいから会いましょう、でいい。

 

8月10日(木)

東京へ。アルムととーちゃんと荒木経惟さんの写真展を見に行く。ものすごい熱量というかエネルギーというか。わかってもらおう、というところからではなく、ただ自分の内側にあるものの純粋な表現としてのその一群。圧倒された。そのままを表現するって、強さ。

 

8月11日(金)

昨日の写真展のせいか、久しぶりの東京のせいか、気圧のせいか、はたまたなんか変わりどきなのか。とにかくだるい朝。食欲もない。お昼頃、海くんがインスのところに来るというので合流。海の家でおしゃべり。霧雨が降っていて、空いていてよかった。夜は居酒屋に移動してまたおしゃべり。飲みの席でのうわべのおしゃべりって苦手だけど、そういう関係性って今はもうないな。魂的なつながりのある人としか関係がなくなってきている。よく笑い、よく食べた日。インスと年明けにリトリートをすることになりそう。

 

8月12日(土)

朝起きたら雨。やはり今日も体が重い。昼前まで眠る。昼過ぎに、ナスと油麩のそうめんを少しだけ食べる。 

夕方から「肚で生きる練習をする会」。ご縁のある人がこぞって来てくれた感じの場だった。肚で生きる、自分の本質を生きるときって、根拠なき確信と不思議な安心感がある。その感覚を掴むのは自分自身なので、こちらはこっちだよーと旗を振り、見守るしかない。旗をどう降ったらわかりやすいか、それを日々模索している。自分の体験を言語化して相手に伝えることの難しさと面白さよ。

 

8月13日(日)

午前中、ふと過去の記憶とともに感情が出て来る。亡くなった恋人とシャバで最後に会った日のことはたまに出てくるものの一つ。夕日の差し込む部屋での思い出。出て来るたびにまだ来るか〜と思うが、仕方ない。当時の私は今思い出すと結構大変だったと思う。よくやったよ、よしよし。お盆だから死者のことを思い出すのかな。(後で分かったのだけれど、この日から水星の逆行が始まり、過去の色々が出て来やすい時期でもあるのだそう)

午後、久しぶりに1日PC作業。動画を扱うのは久しぶりで、そして私の古いMacの容量だとなかなか作業が進まない。これを機に写真と音楽のデータを整理する。まだ終わってないけどだいぶスッキリ。

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 なかなか晴れが続かない日々。梅干しが干せないなあ。

 

2017.7.31〜8.6 日々のこと

クラススケジュール 

●8/12(土)@鵠沼岸 肚の声を聞く練習をする会 〜自分の生を生かし、周りのいのちに貢献し、そして楽に幸せに生きたい人へ〜

●8/19(土)@名古屋 肚で生きる練修〜みんなのための呼吸の1day・ワークショップ

●8/20(日)@名古屋 呼吸の復習・stepup ワークショップ

●8/21(月)@浜松 自分の本質を生きるためのワークショップ

●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3

●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する

●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~

●10月 沖縄リトリート(詳細後日発表)

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7月31日(月)

朝起きたらいい天気で気分がいい。一日を始めるルーティン、歯磨きをして、シャワーを浴びて、簡単に掃除、をしたところで、どうにも体が重くなってきた。今晩のアーユルヴェーダのクラスのテキストを午前中に仕上げようと思っていたけれど、この状態では効率が悪い。ベッドに戻る。ストンと眠りに落ち、午前中は寝て過ごす。

午後、コメダ珈琲に行きテキストの仕上げ。振り込みなどをするために銀行口座を見たら思っていたより残高がなかった。こういう時に無駄に焦らない精神力はフリーライター時代についたと思う。いつも、あーもういよいよダメかも、借金てどこでするのがいいのかな、とか考えても、なぜかいつもギリギリのところで仕事が入ったものだった。借金してもしなくても、どっちにしても単なる経験。なんだかよくわからないけれどなんとかなる、というなんの根拠もない自信のようなものもある。

 

8月1日(火)

波もないし、ということで朝、弦を動物病院に連れて行く。1年に1度の健康診断と、予防接種。でも、今回は予防接種はしないことにした。今弦が住んでいるとーちゃんの家は2階でほかの猫との接触もないし。予防接種をしないことのリスクを聞いたら、その状況にはならなそうだったので。外に出るのを怖がらず、人見知りもしない弦だけど、今日はなんだかとても興奮していた(見たことのない興奮っぷりでかわいかった)。

とーちゃんは、私のように猫を抱き上げてお腹に顔をうずめるというようなことはしないし、餌も決まった時間、トイレの掃除もこまめ。猫たちにとっては最良の環境であろう。月子さんは相変わらず、私の前には姿を現さない(笑)。

暇人コンビ、特にすることもないのでDVDを借りに行く。『君の名は』と『ブリジット・ジョーンズの日記』。蔦屋に着いたらまさにバケツをひっくり返したような大雨。洪水警報が出るほど。『君の名は』、時間軸について本質的なところをついているのがよかった。でも、どこで泣くのかはわからなかった(多くの人が泣いたと言っていたけれど)。私は映画にシリアスさなどは求めていなくて、好きなのは単純なコメディ。多くの人が泣いた、泣ける、という映画で泣けたことがない。

 

8月2日(水)

ターメリックで歯磨きをすると歯が白くなる、という説を聞いた。そんなバカな!布巾やキッチンの道具や色々があんなに黄色く染まるターメリックなのに! でも、もしかしたら、歯にはいいの?

というわけで、歯ブラシを交換するタイミングだったのでターメリックで歯を磨いてみた。 結果、歯は黄色くなりました。やはり……。急いで新しい歯ブラシで歯を磨く。新しい歯ブラシも黄色くなった。やはりね……。それでこそターメリックだよ……。

 

8月3日(木)

最近気に入っているもの。サラ・ペイトンのガイド瞑想。サラとはNVCの国際集中トレーニング@マウイで出会ったのだけれど、その存在、あり方にとても感銘を受けた人。 英語だけど、声を聞くだけでもいいかも。フーッと力が抜ける感じ。

午後、とーちゃんちで録画しておいたもらった番組のいろいろを見る。マツコの知らない世界、イッテQ、カンブリア宮殿のイケアの回。一気に。テレビを持たず、新聞も取っていない、と言うとニュースはどうやって知るんですかと聞かれる。世の中の事情みたいなものに興味がないので、ニュースは特に知ろうとしていない。たまにFBなどで流れて来たもので気になったら調べる程度。社会変革、みたいなものにもまったく興味がない。それよりも半径1m、せいぜい3mくらいのことのほうが大事だし、変革すべきは社会ではなくて、自分だろうと思ってしまう。

夕ごはんは、とうもろこしごはん。

 

8月4日(金)

台風5号のうねりがビシッと入った!けれど、生理でおやすみ。台風の位置なのかな、ズシンとくる眠気。食事もそんなにいらない感じ。 お昼頃にズッキーニとオクラを焼いたのとスイカを食べ、また寝る。

夕方前になって、少し活動スタート。補修したかった洋服を一気に直す。ちょっとほつれたものや、丈を調整したかったもの、リメイクしたかったものなどをためていたので。夜、ヘルタースケルターを観る。最近Netflixに登録したのだけれど、観たいと思っていたものはひとつもないので、1カ月のお試し期間が終わったらやめるつもり。観たいものがあったら、DVDを借りればいいや。ヘルタースケルター、なかなかよかった。女性と美しさについて思う。最近instagramでも広告が流れてくるようになり、そのコスメの広告の多さにいろいろケアしなければいけないんだと洗脳されつつあったこともあり。

美しさと、若さと、幸せをイコールで結んでしまうととても窮屈になる。それらはすべて別物。メイクも、女性は礼儀としてしなければならない、という人もいるけれど、メイクしていた時代に、いつもノーメイクですよね、と言われて以来、メイクって他者に対しては意味ないな、とおもいました。今は、したい時にはする程度。しない、とも決めていない。ただ、目のケアとしてカジャルだけはつける。

 

8月5日(土)

波があって晴れ。気分はサーフィン。でも、体はNOと言う。生理中は海に入らない、と決めているのではなく、体がNOと言うのでそれに従っている。理由づけはいくらでもできるけど(肚が使えないのでバランスが取れないとか、サメが来るとか、冷やさない方がいい、だとか)、体がNOと言う意図はわからない。わからなくていいと思っている。それって、息を吸いながら、どうして息を吸うのかと考えるようなもの。

マインドと体の妥協案として上がったのが「海を見に行く」。最近波情報でいい点数がついている茅ヶ崎方面をチェックしに自転車で。途中で何人かの知り合いに会う。揃って「入らないの?」と聞かれるので、「生理なのでお休み」と答えたのだけれど、おおっ!とおもった返しは「俺は痔だけど入ってるよ!」。

夜は月に1度の呼吸dojo。気楽で、とても楽しい場。

 

8月6日(日)

波情報を見たら結構サイズダウン。がっかり。でも海へ。情報よりもサイズがあって、セット頭のいい波。昨日チェックしておいた甲斐があり、いいところで入れた。朝お腹が空いていなかったので、プルーンとくるみのスムージーだけにしたけれど、それが失敗。波もあったし、長時間入ってしまった(昼食抜き)ので、もう少しエネルギーが必要だった。

夕ごはんはいつもより少し多め。玄米ごはん、レタスのお味噌汁、ぬか漬け、アボカド納豆。

 

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 よく猫と遊んだ1週間だった。

 

師と仰ぐ森田愛子先生の本のライティングを担当しました。
とってもやさしく書いたので、気楽に読んでいただけるかとおもいます。