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Forget for get

呼吸と体を通して、自分を思い出すこと、それは「自分」を忘れること。呼吸と日々の食事でHIVとともに生きる心と身体をケアする松永真美が、生きることを活かすこと、「生活」について綴るつれづれブログ。

疲れちゃったときには

何かに向かって一生懸命がんばって、走り続けて、はたと気づくと、あれ? なんか疲れてるかも? 気づいたら休日が楽しみになっていて、朝起きるのがつらかったり、いまいちやる気が出なかったり。そんなことってありませんか?

 

もちろん、疲れる前に休息をとることや、日々自分のケアをすることはとても大切です(ちなみに、アーユルヴェーダでは休息とは睡眠か瞑想。家で映画を見たり、読書をしたりすることは、ゆったりしていそうでも活動にあたり、休息にはなりません)。とはいえ、生身の人間ですから、疲れたり、体調を崩したりすることもあるでしょう。

 

「疲れたなあ」そう感じたら、ああ疲れているんだな、と自分に起きていることをまず認知してみます。疲れたなんて言ってられない!と、ただ栄養ドリンクを飲んだり、甘いものを食べたりして自分に鞭を打つ前に、まず疲れている自分がいるということをみとめます。体は、自分の内側からのメッセージをいつも伝えていてくれます。そのメッセージにまずは耳を傾けます。

 

たとえば、「ちょっと聞いてほしいことがあるの」と友達がやってきたときに、今忙しいから! と門前払いをしたら、その相手との関係はどうなるでしょう。自分との関係も同じです。自分と親密に付き合うためには、まず、その体からのメッセージを受け取ることが役に立ちます。空腹を感じたなら、それを無視せずに、まず受け取ります。「お腹が空いている、うん、わかった」。そんなふうに、きちんと相手の話を聞きます。それから、どうするかを決めます。「でも、今はこの仕事を片付けたいから、あとで食べますね。」というふうに。人間関係でも同じですが、たいていの場合は聞いてもらえるだけで、状況が変わらなくても、なんとなく落ち着くものです。

 

体からのメッセージを受け取ることになれてきたら、次は体との折り合いをつけるようにしてみます。「疲れてもう動きたくありません」「うん、脚がだるい感じだね?」「休んでください」「5分でいいかしら?」「いやいや30分は必要です」「じゃあ間を取って15分でどう?」こんなふうに体との会話がなされる、かどうかはそれぞれですが、行動を決めるときに、頭だけで判断するのではなく、体からの意見も含めてみます。なぜなら、そんなふうにして、体とともに生きることが、今を生きることだからです。

 

でも、体を感じる余裕がないほど、なにもしたくないほど心身が疲れてきってぐったりしまうこともあります。そんなとき、どうするか? 私はもうすべてを放棄してしまいます。体の重さやだるさに降伏し、それをどうにかしようとすることも放棄。重いなあ、だるいなあ、めんどうくさいなあ。そんなものが自分にあることをただ認知します。受け入れることも、排除しようとすることもしません。でも、しばらくするとこれじゃだめだ! という考えが働いたり、だるさが心地悪くなってきて、どうにかしよう、と考え始めます。でも「頭」は一度おいておき、歯磨きすらしないような「完全なダメ人間」をまっとうします。なぜなら、重さやだるさが苦しみのもとなのではなく、そこにある重さや苦しみを排除しようとすることが苦しみになるから。

 

そんなふうに、ただ重さとだるさを感じながら過ごしていると、あるとき「なんとかしなきゃ」ではなく、「体の軽さを感じて心地よくなりたいなあ」という欲求が出てきます。でもまだ、自分で自分に心地よさを感じさせられる元気がない…。そんなときは、迷わず人の手を借ります。自分でできないことは、人に頼む。これがいちばんです。私の場合は、プロに体のケアしてもらうことが、軽さと心地よさを得る確実な方法です。体が軽くなり、心地よさを感じると、心も連動します。ちょっと後押しをしてもらうことで、また自分の体の声を聴いて、心地よくいさせることができるようになります。

 

みなさんにもなにか、自分の心も体も心地よいと感じられる物事があると思います。それはなんでしょう? 「あれがいい」「これが悪い」という情報は世の中にたくさんありますが、誰が何を言おうが、大切なのは自分の体と心がどう感じるか、です。心も体もゆるんで、やさしい気持ちになれるような、そんな場所や物事。自分だけの処方箋を体とともに見つけるのもまたたのしいものです。