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Forget for get

呼吸と体を通して、自分を思い出すこと、それは「自分」を忘れること。呼吸と日々の食事でHIVとともに生きる心と身体をケアする松永真美が、生きることを活かすこと、「生活」について綴るつれづれブログ。

身体からはじめる

わたしの身体、わたしの心。じゃあ、つまり、身体も心も「わたし」ではないってこと。「わたし」ってなんでしょうね。まあそれはおいときますけれど、リラックスしていて力みがない、っていうのが人のベースだと思うんです。赤ちゃんってそうでしょう。

 

さて、身体も心もわたしのもの、所有物だとすれば、所有者はそれを利用することはあっても干渉されたり振り回されたりすることはないはず。論理的には。でも、それって結構むずかしい。心はいつだって何かに反応して怒ったり泣いたりするわけですし、身体も、肩こりや腰痛や頭痛や、それらが起きないようできるはずだし、それらが起きても「わたし」は干渉されないはずなのに、そうはできない。リラックスしている、というベースはないに等しくなっちゃう。

 

特に、心はとっても複雑で、心を「わたし」と切り離してみることは、チャイを飲んだときに、ミルクとスパイスと砂糖をそれぞれ単体で味わうようなもの、というような例え話を聞いたことがありますが、まあそれくらい複雑。だから心からどうにかしようとすると、途中で挫折するか、迷宮に入り込むか、押さえつけるか、になる。(瞑想やマインドフルネスで)「心をコントロールする」とか「心が穏やかになる」とか、そんな言葉が出回っているから、感情が起きたとしてもなかったことにしちゃったり。大事なことは、心も身体もリラックスしていて、何かが心や身体に起きても余裕を持っていられることであって、そういう結果のところじゃないんだけどね。

 

そんなわけで、まずは身体からはじめましょうよと言いたい。とにかく、リラックスしないことにははじまりません。そうはいっても、身体をリラックスさせる、とか力を抜く、とか、やってみると難しい、できない。クラスでも参加した方々がよく「力を抜くって超ムズイ!」と言いますが、そう、ムズイんです。

 

で、呼吸です。心と身体の架け橋である呼吸と、その呼吸のための身体を育てちゃう。そこは相乗効果で育ってくれるので、育ったらもう、あとは身体が勝手にリラックス方向に持っていってくれます。自分のベースを思い出すっていうことです。そこがスタートであり、ゴールだとおもいます。