Forget for get

呼吸が変わるとラクになる

コンビニ弁当を食べる「丁寧な暮らし」の形だってある

丁寧な暮らし。そんな言葉から思い浮かべるのは、手作りのいろいろや、素材にこだわったものを選ぶこと、自然に寄り添うようなあり方でしょうか。もちろんこれらが「丁寧」の現れであることもあるでしょう。でも、「丁寧」であればこれらの現れがあるとは限りません。

 

ていねい【丁寧】

注意深く念入りであること。細かい点にまで注意の行き届いていること。また,そのさま。

動作や言葉遣いが,礼儀正しく,心がこもっている・こと(さま)。

 

大辞林

 

丁寧の意味を改めて見てみると、あくまでも心のあり方です。1の内容はまさにマインドフルネス。大切なのは外側に現れる現象ではなく、自分の内側に何が起きているか、そこに目を向けているかです。たとえオーガニックの食材をそろえて、時間をかけて料理をつくったとしても、その行為をするときに自分の内側に注意深さがなければ、それは「丁寧」ではないわけです。反対に言えば、たとえコンビニで買ってきたお弁当を食べるのだとしてもそれは「丁寧」になりうるということでもあります。

 

わたしたちはつい、外側に起きる現象にとらわれてしまいます。そして、そこをなんとか変えようと努力をします。でも、それは頭痛がしたら鎮静剤を飲んだり、胃が痛いからと胃薬を飲んだりするようなもの。それ自体は悪いことではありませんが、対処療法であって根本の治療にはなりません。結局のところ、いつまでも薬に頼ることになってしまいます。

 

自分を変える、ということはその大元のところ、つまり頭痛が起きやすかったり胃が痛くなったりするような生活習慣を見直すということです。丁寧に暮らそう、そう思ったときには、まずは内側に目を向ける必要があります。自分の内側の細かい点にまで注意が行き届いているだろうか。そうしてはじめて、外側の現象に「丁寧」が現れてくるのだろうとおもいます。

 

「丁寧な暮らし」とはつまるところ、自分に起きていることを注意深くすくいあげていくプロセスなのでしょう。たとえば、お腹はすいているけれど、疲れていて料理をしたくないようなとき。自分を鼓舞して料理をするのではなく、まず自分が疲れている、ということに目を向けてみる。そうして、ああ今は休息が必要なんだな、と自分の内側にあるものをすくいあげる。その上で、空腹を満たすために、料理をするのか外食をするのかを決める。その注意深さはまさしくマインドフルです。

 

ところが「丁寧な暮らしをしなければ」「丁寧な暮らし=手料理」のような思い込みにしばられていると、自分の内側に起きていること、疲れているなあ、料理したくないなあ、休みたいなあ、ということに気づく暇もなく、あるいは気づいていてもその声を無視したりなかったことにしたりして「料理を作らなければ」と頑張ってしまいます。そこには注意深さはなく、思い込みに乗っ取られてただひたすら走っているような状態です。

 

体は、自分に起きていることを示す掲示板のようなもの。体の声はつまり、わたし自身の声です。その声に耳を澄ませ、自分の感覚を信じること。その上で行動を決めることが「丁寧な生き方」なのだろうとおもうのです。

 

現代社会では、思考ばかりを使って体感覚がおろそかになりがち。思考は過去と未来を行ったり来たりしますが、体で感じることは、今この瞬間に起きている現実です。マインドフルに生きる、つまり丁寧に生きるということは今この瞬間を生きること。体の感覚、とくに呼吸に注意深くあることはマインドフルネスのはじめの一歩であり、すべてです。