Forget for get

呼吸が変わるとラクになる

心から味わって食事をする。毎日できるマインドフルネスの練習です。

新米がおいしい季節、食欲の秋ですね。暑い夏には食欲が落ち、涼しくなってくると食欲が出てくるのは多くの人が感じていることだと思います。こういう、お腹が空いたな、とかあんまりお腹が空かないな、という体の感覚に耳をすませることはマインドフルネスの練習においてとっても大切です。

思考が優先して働いている現代では、物事の判断基準が「正しい」か「間違っている」かになりがちです。そうすると、頭ばかりを使うことになり、思考の筋肉(そんなものがあるかどうかは別として)がどんどん育って、体の感覚がどんどん鈍くなっていってしまいます。私たちを苦しめているのは私たち自身の思考です。そして、正しい/間違っているを基準に物事を選ぶ、つまり頭を使えば使うほど、どんどん苦しくなっていく、ということです。

頭を休ませるためには「頭を休ませる」をすればいいのですが、いざ「頭を休めよう」とすると、頭を休ませるためにはどうすればいいのだろうか、とさらに頭を使い始めてしまいます。そんなときに役に立つのが五感を使うこと。五感から入ってくる刺激をただ感じることです。日常生活の中で五感をフルに使いやすいのは食事です。目で見て、香りを嗅いで、口に入れれば、食感があり、音があり、味があります。

食事をするときは、食事をすることだけに集中します。まずはほんとうに今、食べたいかどうか? お腹が空いているかどうか? お腹が空いていなくても、思考は「今食べておかないと食べる時間がない」とか「食べないと元気が出ない」とかいろいろ食べる理由を生み出します。

 

でも、体は答えを知っています。

 

食べることに決めたらスマホや携帯、PCなどは目に入らない場所におくか、どうしても気になる場合には食事の間だけ電源をオフ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚に意識を向けながら味わって食べます。味わってみて、おいしくないな、と感じたらもしかしたらそれは自分には必要のないものかもしれません。

食べ終わったときの体の感覚はどうでしょう。食事はエネルギーを補給するためのものです。食後、エネルギーに満ちて動き出したくなるような感覚になるかどうかは自分に必要なものを適量食べたかの判断基準になります。食事を通して気づけることはたくさんあります。そして、体感覚を取り戻すことは、自分に気づくための第一歩です。

体感覚に気づくことは、マインドフルネスの練習においてとても大切なことです。体感覚に気づくということは、自分に気づくということだからです。たとえば、感情は体感覚として現れます。切ないときに胸がきゅーっとなるというのはよく起きることのように思いますが、怒りや悲しみも体に、体感覚として現れます。

感情を体感覚として受け止める。体感覚なしに、ただ感情そのものを受け止めようとするとどうしても思考に走ってしまい、結局のところ感情に蓋をするということになってしまいがちです。あるいは、その感情の意味を追求したり。

でも、感情=体感覚ということが体でわかると、それをただそこにあるものとして受け止めやすくなります。たとえば指を切って痛いとき。それについてあれこれ詮索せず、ただ「痛い」とおもうでしょう。そして、あのときああしていれば、切らなかったかも、ああなんて不注意だったんだろう。そんな考えも出てくるかもしれません。そうしてその考えによってだんだんイライラしてきたりする、ということが起きるかもしれません。でも、考え始めなければ、指を切った痛みというただそれがあるだけです。

感情も同じで、悲しみも怒りも、体感覚としてただそれがあるだけです。良いも悪いもなく、ただその感情がある。感情を体感覚としてとらえるとき、そんなふうに感情をみることが楽になります。でも、感情についてあれこれ考え始めると、たとえば、ああしていればこんなことにならなかったかも、ああ、なんて不注意だったんだろう―どんどん思考にとりこまれて感情から離れてしまいます。でも、ああ、悲しみがある。そんなふうにその感情を体として体験すること、認知することでこそ、その体験が完了します。いつまでも悲しい、苦しい、そんなときはたいてい、その感情の火に思考が油を注いでいるときです。

アーユルヴェーダでは食べたものがきちんと消化されないと、それが毒素となり病気になると言っていますが、未消化物とは、消化できなかった食べ物だけでなく、なかったことにされた感情も含まれます。つまり、感情をきちんと完了させることは心身ともに健康でいるためにも大切なことです。

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新米がおいしい季節です。噛めば噛むほど甘くなるお米を、じっくりゆっくり噛んで、その味わいを楽しむのは豊かな時間だなあとおもいます。