Forget for get

呼吸と体を通して、自分を思い出すこと、それは「自分」を忘れること。呼吸と日々の食事でHIVとともに生きる心と身体をケアする松永真美が、生きることを活かすこと、「生活」について綴るつれづれブログ。

なにかをどうにかしようと思っている限りは結局のところ、苦しいところにい続けることになる

「心をととのえる」。マインドフルネスやヨガ、瞑想などが一般的になり、こんな言葉をよく見聞きするようになりました。「心をととのえる」。この言葉からどんな状態をイメージするでしょうか。どんなときも心穏やかで、冷静、感情の振り幅がないような、そんな感じかもしれません。ついカッとなって声を荒げてしまったり、なんだかわからないけどいろいろなことにイライラしたり、落ち込んだり、不安になったり……。そんな感情の波にもまれることなく、ピースフルな状態でしょうか。

マインドフルネスとは、いまここにあるものを、そのままに体験すること、そのことに気づいていることです。どんな大きな怒りがあろうが、悲しみがあろうが、その感情をただ体験する。その怒りをどうにか鎮めようとか、悲しみをなくそうとか、そういうことはしません。マインドフルネスは、心を穏やかにするものではないのです。結果的に、心が穏やかになる、ということが起きるかもしれませんが、心を穏やかにするものではないのです。

心や思考は、とにかくなにかをしたがります。「私には何もかもが不足している」とか「自分には価値がない」という観念が根っこにあるので、その不足、欠乏を埋めるために、また、達成感を感じるため、自分の存在の意義を見いだすために何かを「する」。

こんな自分は、ダメなんだ(=自分は欠乏している)。だから、マインドフルネス(やヨガや瞑想や、あるいはなにかの講座やセミナー)で、その自分をどうにかしなければ。存在する意味のある自分にならなければ。そんなふうに思考が判断し、マインドフルネスの練習をせっせとしたりするわけです。そうして、なんだか自分が成長したような感じがして(達成感)、満足します。でも、根っこにあるのは欠乏感ですから、まだこんなんじゃだめだ、とさらに頑張る、達成感、欠乏感、頑張る……ということがおきてきます。永遠のループです。

なにかをしようとする。なにかをどうにかしようとする。そうなると、思考の罠にかかって、永遠にそこから出ることができません。とにかく、なにかをしたいのが思考だからです。つねに、なぜこれが起きたんだろうと分析したり、どうすればここから一歩進んだところにいけるだろうかと考えたり、あのいつも落ち着いているひとは、どうしてあんなふうにいられるのだろうかと比較したり、とにかく忙しく働いています。思考の根っこにあるのは欠乏しているという考えですから、思考から抜け出さない限りはずっと苦しいわけです。

マインドフルネスの練習では、そういった思考の働きも含め、自分に起きることをただ体験します。それを消そうとかコントロールしようとか、そういう思考の喜ぶことはしません。思考から離れて自分に起きることをただ体験するために、体の感覚を利用します。というか、せっかく体があるのですから、きちんと「体」験すればいいわけです。

そして、思考の弱点のひとつには、過去と未来にしか存在できないということがあります。過去の記憶をもとに、なにかを恐れたり、未来のことを考えて不安になったり……。一方で、体の感覚は今この瞬間の現実です。たとえば、今スマホでこれを読んでいたとしたら、そのスマホを持つ手の感覚を感じることができるでしょう。でも、昨日の手のひらの感覚は感じることはできないですよね。思い出すことはできるかもしれません(思い出す=思考です)が、感じることは不可能です。つまり、体感覚として物事を体験するとき、必然的に今この瞬間にいることになるわけです。そうすると、自動的に思考から離れざるをえなくなるというわけです。思考が持っている欠乏感という根っこをどうこうしなくても、それに影響されないところに気づいたらいた。そんな感じでしょうか。

なにかをどうにかしよう。そう思っている限りは結局のところ、苦しいところにい続けることになります。今苦しさを感じているのだとしたら、それをどうこうしようとするのではなくて、ただ体験する。マインドフルネスの練習はとっても地味なんです。

 

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自分を受け入れるというのは、ダメなところを好きになる、とかそういうことではなくて、ダメとか良いとか判断なしに、ただ、そんな自分がいるなあ、と認める、ということです。

 

 

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