Forget for get

呼吸と体を通して、自分を思い出すこと、それは「自分」を忘れること。呼吸と日々の食事でHIVとともに生きる心と身体をケアする松永真美が、生きることを活かすこと、「生活」について綴るつれづれブログ。

引っ越しにまつわるあれこれ

気づけば、かなりしばらくぶりの更新。
2月〜4月は引越しのバタバタであっという間に過ぎていきました。
子供の頃、1年とか1年半で引越しをしていたので、
住む場所を動くことになんの抵抗もなく、
むしろ、長く(数年)いると落ち着かなくなってくるくらいなのですが
今回の引越しはなかなかにたいへんで。

同居をやめて別々に住み、猫は向こうへ、という選択。
もともと、関係性には名前をつけずに(恋人、とか友達とか)
共に過ごそうとお互いが思っているので過ごす、という形態を取っていたので
同居中にも関係性は刻々と変化し、
関係性というものは終わるものではなく、単に変化するものなのだなあと
実感していたこともあり、別々に住むことへの精神的な何か、というよりは
物理的に、あれだこれだ買わなければいけない!というのが
意外にもとってもたいへんでした。

必要なものを買い足していくことにより、
だんだんと、あれもこれも足りない!モードになって
あれもこれも買わなければ!というマインドになっていくと
もう完全にラジャスの世界に突入な訳です。
何年かぶりに、お酒を飲んでみようかなと思えたのは、
ひとえにラジャスの辛さをタマスでごまかす、という典型。
これはとっても面白い発見でした。

ラジャスやらタマスについてはこちら。

remembering.hatenablog.com

そして、実際に、ではお酒を飲んでみようではないかと飲んでみると
これはもう、ものすごい麻酔のような。
体感覚がどんどん失われていき、自分のいどころがわからなくなって迷子状態。
お酒を飲んだら運転してはいけない、ということに関して
うんそれはもう本当にそうだ、と深くうなづきました。

軸足がしっかりしていると、動きがしなやかになるように
体感覚がきちんとあってはじめて、魂は自由に動けるんだろうと思います。
体というホームが安定することで、本当に自由になる。
「家」がなければ「旅」も「冒険」も成立しないようなそんな感じ。

そしてその体感覚がきちんとある状態というのは、
特別な人だけができることとかではなくて、
淡々とただ修練するのみの地味な世界の先にある、ものでもなくて
その淡々と修練する地味な世界と並列してあるもの。
それを改めて、体とともに認識したのがこの2か月くらいでした。

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猫手放したの!と驚かれたり、飼育放棄!無責任!と言われてみたり、猫問題色々ありました(笑)。それについてはまたの機会に。

 

 

 

今後のクラスなどのスケジュールはこちら
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師と仰ぐ森田愛子先生の本のライティングを担当しました。
とってもやさしく書いたので、気楽に読んでいただけるかとおもいます。