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呼吸が変わるとラクになる

『バガヴァッド・ギーター』がおしえる3種類のしあわせ

ヨガの教典のひとつである『バガヴァッド・ギーター』。王子アルジュナと、彼の導き手である神様クリシュナとの対話で構成された叙事詩です。ガンジーが「スピリチュアルディクショナリー」と呼んだり、アインシュタインが愛読していたり、ジョージ・ハリスンが歌詞の元にしたりと、結構いろんな人が読んでいるみたいです。生きるための智慧がちりばめられたお話です。

この『バガヴァッド・ギーター』では、しあわせには3種類あると書かれています。まず1つ目が「健康、経済、人間関係がうまく回ること」。

健康で大きな病気や怪我もなく、裕福な生活をしている。たとえば、庭付きの一軒家に住んで、季節ごとに好きな洋服を買い、話題のレストランでおいしい料理を食べ、たまには海外旅行にも行く。そんな感じでしょうか。そして理想的なパートナーがいて、子どもも特に問題を起こすことなく健やかで、両親や親族との人間関係もうまくいっていて、仕事やコミュニティでの人間関係も円滑。そんなイメージでしょうか。これが達成されれば充分な感じがしてしまいますね。そして、一般的な「しあわせ」な人生のイメージはこれかもしれません。

2つ目は、「これらに執着せず、物質的なことに縛られないこと」。

生老病死、生まれること、老いること、病気になること、死ぬことは自分ではどうにかすることはできません。それに、すべては変化していきます。たとえば、庭付きの一軒家を得たとしても、火事や災害で失うことがあるかもしれません。理想的なパートナーが、ある日心変わりをしたり、交通事故で死んでしまったりするかもしれません。子どもやそのほかの人間関係も同じです。健康も経済も、人間関係もすべては変わりゆくものです。それらを得ることでしあわせになった気分になりますが、それを失う恐れも生まれてしまいます。だから、それらを得ることは、苦しみを得ること。だから、それらに執着せず、苦しみから自由になることでしあわせになろう、そんな感じです。

そして、3つめは「何にも執着せず、この世から自由になろうとも思わないこと」。

1つ目のしあわせは、何かを得ることでのしあわせ。2つ目は、執着をしないことで自由になるしあわせでした。3番目は、何かを得る執着も、執着をしないことへの執着もどちらもない状態です。そもそもしあわせになろう、という意識がないような状態です。

すべての出来事を慈悲として受け取るため、自分がどんな状況に置かれているかが自分の「しあわせ」とはリンクしていません。むしろ、どんな状況にあっても「ああ、しあわせ」と受け取れるしあわせでしょうか。

しあわせとは「幸せ」とも書きますが「仕合せ」とも書きますね。仕合せとは、し合わせたこと。運命や巡り合わせ。偶然巡りあった良いことも、悪いこともすべて「し合わせ」ということです。つまり、しあわせとは、自分にとって都合のいいことだけではないわけです。雨が降っても、晴れても、どちらにしても「し合せ」だということに気づいていると、雨が降っても晴れても、しあわせなわけです。

『バガバッド・ギーター』では、どのしあわせが良いとか悪いとか、そういうことは言っていません。ただ、しあわせっていっても、まあ3種類あるんだよね、とおしえてくれています。そして、どれを選んでもいいんですよ、と。そして、それぞれのしあわせを得るために必要なことも教えてくれています。1つめを得るためには、行動すること。2つめは学ぶこと。3つめは慈愛です。ちなみに、ヨガで言えば、それぞれカルマヨガ、ギャーナヨガ、バクティヨガにあたります。現代の体を使う「ヨガ」はヨガのほんの一部で、ヨガの世界ってほんとに深淵なのです。

マインドフルネスの練習をしていくと、3つめのところが体感的にああ、そうだよな、とわかるようになる気がします。まあ、わかるんですけれど、ずっとその状態でいられるわけでもなく、恋がしたい!とか素敵な洋服がほしい!そしたらしあわせ!とかも時折おもったりするわけです。心ってすげいな。

f:id:remembering:20161101112956j:plain自然がつくりだすものの繊細さや完全さって、なかなかに「有り難い」ことにおもいます。「し合せ」もやっぱり、有り難いこと。でもすべてのことは「し合わせ」。つまり、なんでもかんでもしあわせだし、なんでもかんでもありがたいことなんですね。

 

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