Forget for get

呼吸が変わるとラクになる

2017.6.19〜6.25 日々のこと

6月19日(月)

久しぶりに波があった。天気も良くて嬉しい。

日本語学習をする人に縁あって出会ってから、改めて言葉というものについて考えている。言葉の限界と、言葉の可能性。言葉があるがゆえに伝わらないこともあれば、言葉があるがゆえに伝わることもある。おもうに、きちんと説明しようとか、納得してもらおう、とすると本当のところが伝わらないんじゃないか。ただ思いを言葉にのせて、どう伝わるかはわからないけれど、自分のやり方で思いをのせてみる。詩みたいな感じ。そして、あれ伝わってないな、というときには思いをのせる言葉を変えてみる。そんなトライアンドエアーを繰り返してコミュニケーションって成り立つんではないかな。便利で不便な言葉よ。

そんなわけで、日本語について、学生時代のテキストを読み返したくなり、でも、とっくの昔に捨てているのでタイトルがわからず友人に聞く。『An Introduction to Japanese Linguistics』だって。早速アマゾンで購入。今読んだらどんな感じかな。日本語学を学びたくて大学に入ったけれど、入ってみたら勉強以外のことにうつつを抜かしてしまった。もっとちゃんと勉強しとけばよかった、と思わなくもないけれど、あの時のあの経験はあの時しかできなかったので、それはそれでいいとおもっている。

最近感じているのは、自分、というのはプライベートなものではなくて、パブリックなもの、ということ。

 

6月20日(火)

言葉によって誤解が生まれることもあるけれど、言葉によってそれを解くこともできる。行動では自分の意図が思うように伝わらなかったとき、それを言葉でフォローできる。その時のポイントは、肚から言葉を出すことだと思う。弁解しようとか、理解してもらおうとか、納得してもらおうとかすると伝わらない。相手がどう思うかはわからないけれど、今自分の中にあるものを出してみる。ときには勇気がいるかもしれないけれど、そこから始まることって結構ある。それが今日起こった感じ。

夕方、のりこさんとプールへ。今年は泳げるようになりたい(25mは平泳ぎで泳げたけどもっと長く)。背泳ぎ(足だけで進む)が楽しく、心地よかった。でもやっぱり沈む感覚の方が強い。そして、顔、耳が水に入ったときに、ちょっと恐れが出てくる。でも、プールの中で目を開けるのは怖くなかった。むしろ閉じている方が怖いじゃんっておもった。海の中でも目を開けてみたい。

昔、シュノーケリング体験(海ではなく、海のように作られた場所)をしたときに、ちょっとパニックになったことがある。サーフィンはするけど、潜るのは怖い。ダイビングとか無理。なんでかなと思っていたら、かつて海で溺れ(させられて)死んだことがあるんだって。

でもそれは過ぎたことだし、今は状況も違う。それでも心はそれを引きずってしまう。その出来事はもうない。でも、怖い、はある。怖いを怖いままにしておこう、とりあえず。それくらいのスペースはある。

泳ぎを教えてくれる人いませんか(本気)。

 

6月21日(水)

朝から大雨、風もどんどん強くなって嵐のよう。そんな夏至の日。久々に体調がとても悪い。頭も痛いし、体も重い。食欲もない。 猫と過ごす最後の日だからゆっくり読書でもして過ごそうと思っていたけど、本を読むような体調ではなく、猫と寝て過ごす。頭が痛いものは痛いのでしょうがない。呼吸だけちょっと気をつけておく。

夜になって、やや復活。何かが過ぎ去ったのかな。

人と人との縁って、繋がるものはどうやったって繋がるし、繋がらないものはどうやったって繋がらない。無理に繋げても疲れるだけなので、どっしり構えて自分の道を歩いていればいいと思う。

猫番の2週間。旅行でもなんでも2週間ってちょうどいい感じがする。飽きずに楽しいところだけ味わうのに。

 

6月22日(木)

波のある朝。昨日の体調不良はまだ続いている。でも、ライブカメラ(波情報サイトの)を見ていたらむくむくと行きたい気持ちが。

行ってきました。久しぶりにサイズがあって、波に乗った感。行ってよかった。

夕方に、知人の写真展に行こうと思っていたけれど、体調がまだよくないので断念。でも、さかもとさんの場にはなんとか行く。時間も場所も間違えていたけれど(渋谷を新宿と思い込み、19時からを19時半からと思い込む)そんなに遅れることなく到着。

海くんがきていて、ちょうど隣が空いていて、そこに座る。ものすごいしっくり感。なにこれ? 何かの交流が起きている感じ。魂同士の話があったとのこと。こういうのってたまにある。急に訪れる親密な感じ、しっくり感。一緒に温泉に浸かっているような、セックスみたいな、そんな感じ。今、なんだけど今じゃない感じ。肉体次元とは違うというような。

終盤の瞑想で、黒豆みたいなものをピンっと指で弾いている映像が出てきた。直後、ものすごい胃の気持ち悪さ。ずっと抱えてきた黒い塊。それなのに、最後は指でピンっ。随分簡単に! 笑える。電車で眠りこけ、どうにか帰宅。

 

6月23日(金)

言葉についてここ2週間くらい改めてぐぐっと引き込まれていたけれど、そうきたか!

映画「メッセージ」を見てきました。言葉が社会を作るとか、変えられるとか、言葉は人格に影響する、というようなことを大学時代勉強していたのだけれど、あの頃の私に見せたい。そうしたら、もう少し勉強したかも(笑)。

おお、とおもったのは、表意文字には時間の概念が含まれないということ。日本語は表音文字表意文字のコンビネーションだよなあ。

時間とは、言葉とは、時間と言葉、思考の関係……。もう一回じっくり見たい。

 

6月24日(土)

午前中は金継ぎ教室。ひと通りの行程を終えて、一応卒業。割れたり欠けたりした器を自分で直せると思うと嬉しい。

夜、呼吸・整体の研修。呼吸のニュートラル®︎について改めて。ちょっと自分の体験を言語化してみようとおもいます。そして 研修を受けながら、今後の活動について方向性が定まった感じ。

 

6月25日(日)

1日、呼吸・整体の研究会。 頭の位置、首やあごの設定についてや、梨状筋、力を通す感覚などなど盛りだくさん。体についてって、ほんと、終わりなき、たのしい探求。

帰りに駅のトイレに入った時のこと。入口の、男女が分かれるところで年配の男性が荷物を持って立っていた。そして、女性トイレに入ったら、その男性と同じくらいの年代の女性がちょうど個室から出てきた。そこに入ろうとしたら「今、私、たくさんあれだから…」と言われたので、流れなかったのかな、とおもい、ちょうど空いた他の個室へ。出てくると、その女性が全個室に入っては出てを繰り返している。忘れものかな?とそのまま通り過ぎて外に出てみると、入るときにいた男性がまだいた。なぜかとっさに「女性を待っていますか? 呼んできましょうか?」と口から言葉が出てきた。男性は、「ええ、認知症なものですから」と。個室に出たり入ったりしている女性に、お連れの方がお待ちですよ、と声をかけ一緒にトイレから出る。

これだけなんだけど、なんだか心が揺れに揺れて涙が出てくる。その感情の名前はわからないけれど、そこに名前をつける必要はきっとないので、そのままにしておく。ふとすると、この感情は?意味は?とか考え出すのだけれど、それは放っておいて胸のあたりの感覚とともに。しばらくしたら、なくなってた。

そういえば、中学生くらいまではなんだかよくわからないけれど涙が出る、ということがよくあった。え、これ何泣き?というような。感情って、名前をつけられるほど単純なものなんだろうか? 嬉しいとか悲しいとか? わかりやすいものもあるかもしれないけれど、私にとってはよくわからないものが結構多い。そしてそれに名前をつけようとしたときに、ちょっと迷子になる感じがある。

 

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久しぶりの猫生活。猫とのコミュニケーションってとても楽。気楽さと独立感と信頼。

 

 

今後のクラスなどのスケジュールはこち
http://www.nowhereme.net/schedule

●6/26(月)オンライン講座:生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜

●7/1(土)  本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する vol.0

●7/7(金)〜13(木)

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師と仰ぐ森田愛子先生の本のライティングを担当しました。
とってもやさしく書いたので、気楽に読んでいただけるかとおもいます。