HIVを武器として使っていた話 1
19歳の時にHIV感染。
感染理由は、当時の恋人(その後ほどなくして亡くなりました)とのセックス。
来年、PWHIV(Person with HIV/HIVとともに生きる人)としての人生が
そうじゃない人生とちょうど半分になります。
PWHIVとして生きることでのあれこれは、書こうと思えば結構書けるとおもうけど
今回は、HIVを武器として使っていた話。
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感染当初に決めたことは「HIVのせいで」と言わないこと。
それは、言わないだけじゃなくて、HIVのせいで諦めなければならないものをなくす、ということ。
HIV/AIDSについての知識はあったので、
私のHIVに関しての認識は「大したことだけれど大したことではない」でした。
その他多くの病気と同じ。
この認識を持つに至ったのは、Susan Sontagの”Illness as Metaphor and AIDS and Its Metaphors (Penguin Modern Classics)”が大きく影響しています。
そんなわけで、わざわざカミングアウトもしないし、隠しもしないと決めた。
話の流れでそうなれば言うけれど、あえて、あのですね、私実は…と発表もしない。
風邪を引いたときと同じようなイメージ。
さらには、HIVを有効に使うこと。
せっかく数少ない感染者(その年の感染者は5人)入りしたのだから、
そこから見える景色をシェアしたり、HIVに関する多くの人の誤った認識を正そう、とか。
バリアフリーな社会を作りたかった。
どんな状況にある人でも、おんなじように大切にしあうような、思いやりのある社会。
今覚えばなんて決め事が多かったんだ! とおもう。
そんなわけで、HIVによって諦めた具体的なものとして認識しているのは、
海外留学とラクロス。海外での薬の入手の問題と、薬の副作用で運動どころじゃなかった、というのがその理由です。
HIVはセックスで感染します。
セックスが愛の行為とするならば、その愛の行為によって
大切な存在に厄介なものを渡す可能性があるということ。
私にとって、この一点がHIVを「大したもの」にしていたし、それは今もそう。
でも、それでも当時の私は、HIVが試金石になってちょうどいい、とおもっていました。
つまり、こういうことです。
「私、PWHIVだけど、あんたそれ受け入れられんの?」
もはやパワーオーバーでもあり、パワーアンダーでもある、わけのわからない状態だ!
HIVというジョーカーをすばらしく適切な時に出してきた。
なんとなく仲良くなった男性がいて、そして、これって恋愛に発展するかもという予感がして、
そして、今!というタイミングでHIVのことを話す。
相手はもう私のことを好きになりはじめているので
HIVがいいスパイスになってそして余計燃え上がる。
まだ死なないよね? とか、俺がずっと一緒にいるから、とか、代わってあげたい、とか、そんなことで俺の気持ちは変わらないから、とか、自分も感染したっていい、とか、そういうのを面接官としての私は散々聞いた。
そして相手は(おそらく)意を決してセックスにのぞむのだけど、もうそれで終わり、ということも多々。我ながらひどい女だ。
PWHIVだけど、私は大丈夫。
という確認のため、
そして、HIVを理由に恋愛がうまくいかない、
なんてことがないように。
(だからずっと恋人はいたし、なんなら結構ダブったりもしていた)
そうしないと、HIVが大したものになってしまう。
そんなに大きいもの、扱えない。
自分を守る武器として散々HIVを使ってきて、
でも結果的に全然守れてなんていなかったし、
(ある部分では確かに守れていたのかもしれないけれど)
散々それをほぼ無意識のうちにやってきて、
私が求めているのって、そういうんじゃない、とかなりかなり後になって気づきました。
で、それをやめるって決めたらもう、どうしていいかわからなくなっちゃった。
丸腰の自分。
長くなるので2に続きます。
今後のクラススケジュール
●8/19(土)@名古屋 肚で生きる練修〜みんなのための呼吸の1day・ワークショップ
●8/20(日)@名古屋 呼吸の復習・stepup ワークショップ
●8/21(月)@浜松 自分の本質を生きるためのワークショップ
●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3
●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する
●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~
●10月 沖縄リトリート(詳細後日発表)
岐阜まで行きたいのだけれど、大雨の影響で名古屋駅で足止め中。