Forget for get

呼吸が変わるとラクになる

2017.8.21〜8.27 日々のこと

今後のクラススケジュール 

●8/28(月)オンライン講座|生活に役立つインドの叡智〜アーユルヴェーダの食事と生活法、季節の過ごし方〜 vol.3

●9/2(土)呼吸dojo〜本当に心地のいい呼吸をしる、学ぶ、体験する

●9/21~24 小浜島リトリート:進化変容への道~ "本当の自分で生きる"を頭と身体で理解する~

 

8月21日(月)

浜松での初めての講座。初めての場所、人、のときは少し、自分への疑いが出て来る。ちゃんと伝えられるかなとか、受け取ってもらえるかなとか。今回は80代の方も2名参加してくださった。そのうちのおひとりが、魂での深いつながりがあって、場をホールドして応援してくれていた。

連続で講座をした後の帰途で聞くのって、だいたいクラシック。ショパンを聴いていたら久しぶりにピアノを弾きたくなった。最後に弾いた曲が、ちょっと自分の中で納得がいく仕上がりではなかったので、それだけを弾く練習をしてもいいかも。ピアノを習っている時って、発表会があって、そこまでに曲を仕上げるということをしていたけど、そうじゃなくて、ただ楽しいから弾くというのを今やってみたい感じ。

 

8月22日(火)

昨日の講座に参加してくれた蓮農家のみっちゃんがくれた蓮の花。朝起きて、一番にそのことを思い出し、その姿を見たい、という思いとともに起きる。満開で、風が吹くとすごくいい香りが漂う。蓮の花ってこんなに近くで見たの初めて。見惚れてしまう。

旅から帰ると海に浸かりたい。けれど波が壊滅的にない。シュノーケルの練習…とも思ったけれど風も強い。7325コーヒーで朝ごはんを食べ、おしゃべり。

マツコの知らない世界を見たら、練り物特集。魚を食べることができていたとき、練り物って好きだった。美味しかったという記憶もある。もしかしたら今なら食べられるかも。スーパーマーケットに行って買ってこよう。

行ってきました。練り物コーナーの前に立って眺めてみたけれどどうしても手が出なかった。肉や魚を美味しく食べられたらすごく色々楽だといつも思うのだけれど、どうしても手が出ない。

 

8月23日(水)

朝ゴミを捨てに外に出たら、もう秋の風。秋に切り替わっていくときって、いつも切ない。持っている思い出のせいなのか、秋がそうさせるのか。今日は二十四節気処暑だって。

体が本格的に生理に向けての準備に入ったときの1日半くらい、気持ちが落ち込むということがよくある。落ち込みポイントは、たいてい、普通に結婚して子供産んで、奥さんやって、みたいなものへのモーレツな憧れ。毎月準備してるんだから、ちゃんと使えやー!っていう子宮の言い分か?といつもおもう。

蔦屋書店に行き、メキシコの本などを読む。メキシコ、秋にくらいにいこうかなとおもっている。あと、ハワイを思い出したくて、よしもとばななの「サウスポイント」。先月のハワイリトリートで行った場所がちょこちょこ出てきて懐かしい気持ちに。そして、ハワイのあの、エネルギーが体に充填された感じ。いつでも戻れるように、気に入った場所に自分の分身を落としてきたのだったなあ。あのハワイリトリートって、ほんと夢のような時間だった。実際、夢か現か、というところにいた。直線的な時間軸の上にはいなくて、点の上を素早く移動しているようなそんな感じ。

 

8月24日(木)

未来のことなんて心配したってしょうがないよ、そんなのどうなるかわかんないじゃん。というのと同じように、未来のことを天や宇宙や神やらに願ったってしょうがないよ、そんなのどうなるかわかんないじゃん、とおもう。

前に携わっていた雑誌の別冊が出たと聞き、よかったなあ、すごいなあ、と思って書店で手に取ったら、私がかつて翻訳した記事が結構な分量使われていてびっくり。うーん。出版業界やウェブ業界の、ライターやフォトグラファーやデザイナーに対する色々についてよく耳にするけれど、そうか、出版業界もここまで来たか。出版業界って契約書なしに物事が進むけど、不文律があって、それで秩序が保たれていた、とおもう。信頼関係でものごとが進む世界だった、私がいた時代は。そして、発注する側とされる側(編集サイドとスタッフ)は対等な関係だったし、尊敬しあっていた。だから、何も言わずに二次使用するなんて、それはもう編集者人生の終わりを意味した。信頼や尊敬、それぞれの仕事への矜持。媒体作りに必要不可欠だもおもっていたけど、もうそういう時代じゃないのかな。

 

8月25日(金)

久しぶりに波のあった朝。天気はいいけれど、やっぱりもう風が秋だなあ。

昨日から、ネットの通信速度がとても遅い。なんでだろう?いろいろ調べてみたけれど、よくわからない。ここをアジアのどこかの国だとおもって過ごそう、バリとか。と、おもいつき、そうか通信速度が遅いことそのものが問題なのではなくて、この日本で、しかもそんなに電波が届かないような田舎ではない場所でそれが起きている、ということが私にとって引っかかるのだなあ。それってつまり、この場所では、こうであるはずだ、こうあるべきだ、という考えがもとになっているっていうことだ。元に戻るまでは、ネット作業が必要な時は、どこかカフェに行くことにしよう。

 

8月26日(土)

朝はサーフィン。チンクイにやられるこの頃…。今日はもういないんじゃないか、と思って行くけれど、まだいる。今のところ、ドクダミエキスがかゆみにいちばん効くけど、なんかもうちょっとビンゴなのがありそう。

夜は呼吸・整体の学び。背中の真ん中らへんの存在が明らかになって嬉しい。ここが使えるってこんな感じなんだ! ここを知ると知らないでは、紀元前・後みたいな感じ。当然、背中の真ん中あたりは物理的には存在していたのだけれど、意識が向いていないし気づいてないからなかったことと一緒だ。呼吸の感覚が全然違う。

 

8月27日(日)

今日も1日呼吸・整体研究会。背中の真ん中が明らかになったことで、強息法の感覚が全然ちがう、というようなことなど。広く全体を学んだ後に、深掘りしていく作業。パズルのピースがぱちんぱちんと気持ちよく埋まっていく感じ。終わりなき探求。

最近、ひそかにツッコミを入れていること。ドリカムの「何度でも」の歌詞について。10002回目はまたダメになるかもしれないよね? (歌詞は10000回ダメでも10001回目はなんか変わるかもしれない、だから何度でも立ち上がろう、というような内容。)なんていうかその、ここまでいったらOK!というようなそのゴールを見据えて向かうということについて、それはもちろん悪くはないんだけれども、その過程、プロセスをやりきる、生ききるっていうことが抜けると途端に辛くなる。その途中でもしかしたら、道を変えたくなるかもしれないわけで、10001回目を目指しちゃうと、そこが変えられなくなっちゃう。結果って、後から生まれるものだ。パンの生地をこねて形成して焼くことはできるけど、その形や焼き加減を、思い通り寸分違わずぴったりに、っていうのが無理なのと同じ。

 

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秋がやってきた。いちじくのごまソース。いちじくって無花果と書くけど、花はこの食べている内側の部分なんだって。