「私」として生きる
日々をあっという間に過ぎる、とは感じていないのだけれど、
気づけば月日が流れている。
最後のブログ更新から1カ月以上も経っていた!
10月、11月、現時点で決定している講座などはこんな感じです。
●10月24日(火)@東京
【残3名】『本当の自分を思い出す呼吸』の体験〜自分本来の呼吸は、じぶんの本質を生きるに通ずる〜
●11月4日(土)@福岡
「今この瞬間のいのちのきらめきを生きる」自分本来の呼吸ワークショップ
●11月6日(月)オンラインクラス
オンライン講座| スピリチュアルコンパス〜自分の本質を生きる智慧〜
●11月11日(土)@神奈川県藤沢市
●11月12日(日)@東京
●11月20日(月)@東京
『本当の自分を思い出す呼吸』の体験〜自分本来の呼吸は、じぶんの本質を生きるに通ずる〜
●11月24日(金)@茅ヶ崎
【胸を開いて、深呼吸〜♪は勘違い?〜本来の自分に適った呼吸の体験から、楽な姿勢と自分を思い出す〜
●11月30日(木)〜12月3日(日)@沖縄
●12月8日(金)〜12月10日(日)@山梨
2泊3日の呼吸集中合宿@フフ山梨〜本来の自分に還るリトリート〜
●1月16日(火)@名古屋
本当の呼吸を知ると体もココロも整っていく!究極の呼吸レッスン♪
ベルギーの友人が、日本に滞在していろいろな人のポートレイトを描いて
その展示をベルギーでする、ということで、それに寄せた文章です。
お題は、「女性として日本で生きる」。
割と気に入っていて、どこかで発表しようと思っていたものです。
最近は、特に、これを思って暮らしていました。
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生きていく上で、人は色々な顔を持つのでしょう。
女として、娘として、妻として、母として、などなど。
でもそれ以前に、私たちは人として生きています。
女として生きるのも、それを超えた人として生きるのも、
どちらもとても素敵だし愛おしく思います。
でもそれでもやはり、私は「私」として生きることを選びたいと思っています。
女として、人として、生きるのであれば多くの先達がお手本を残してくれています。
どんな風に生きたら幸せなのか、どんな風に生きるべきなのか。
でも「私」としての生き方は、私が最初で最後の人間です。
ですから、お手本もなければ、当然ライバルもいません。
だから、とても自由です。
何の明かりもない道を自分で照らさなければならないような、
あるいは、自分でそもそも道を切り拓かなければならないような感じもあります。
ひょっとしたらそれはとても困難に見えるかもしれません。
でも、私には「私」という強い味方がいつでもついていて、
その「私」であるとき、
私は適切なタイミングで適切なものを適切なぶんだけ与えられることを知っています。それは、「私」への信頼とも言えます。
私が悲しく思ったり、怒りを感じるような出来事であったとしても、
それは私にとって必要であると「私」が判断したものです。
だから私は安心して、その感情や出来事を体験することを楽しむことができます。
そこにあるのは、それがどんなことであっても、
身に起こることはすべて素晴らしいギフトなのだという「私」への信頼であり、
私にはきちんと自分の足で立ち、そして幸せになる力があるのだという
私への信頼でもあります。
私が「私」として生きるというのは、
なぜだかは全然わからないのだけれど、でも、この道だ! という
よくわからない確信のようなものとともに、
そして、少しの勇気、私と「私」への信頼とともに歩む道、のような感じです。
どうやら私はそんなふうに生きていくようです。
People have many faces, various roles through their lives.
For example, as a woman, a daughter, a wife, a mother and so on...
However, in the first place, we live as a human being.
I adore both living as a woman and as a someone beyond.
But I would like to choose living as “myself".
If I choose to live as a woman or a human being, t
here would be many examples and role models by the pioneers
and ancestors in the history : the way to live or how to live happily...
But I am only one person who pursues how to live "as myself".
I am the beginning and the ending.
So there is no role-model or rival, and I’m free.
I sometimes feel like I have to light up the dark way by myself
or I have to remove the hardships and open my own way, it may seem very difficult.
But I always have "myself" on my side,
and I know "myself" can give the right things in the right timing when I am "myself".
I trust "myself".
Whenever I face things which make me feel sad or angry,
they are what "myself" judge that I need them.
That is why I can enjoy experiencing the feelings and happenings with relief.
Things there for me are the gift for me from "myself",
no matter what it is, what they are,
and I can stand up with my feet and make me happy.
Living as "myself" is like believing this is my way with a causeless confidence
and a path with a little courage and trust for “myself".
This is the way I live.