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呼吸が変わるとラクになる

なぜ瞑想をするのか

なんで瞑想をするのかと言ったら、
それはただ、自分の持ち味を生かすために
かもしれない。

 

自分の持ち味。
例えば、猫がうさぎっぽさを帯びてきたら、どうだろう。
いやそれは、猫はそれでもかわいいな。
例を変えます。

 

私は果物だと、スイカが好きなんですが
やっぱ1年中どこでも売られてるバナナこそスターっぽいしあこがれる!
みたいな感じで
イカがバナナっぽさ出してきたら
それは違うわけです。
バナナも好きですが、スイカはスイカでいいし、バナナはバナナでいい。
というかだからこそいい。
イカっぽさ足されたバナナとかちょっと違う。

 

自分の持ち味って、誰かを目指したり、誰かっぽさを足したり
そういうのをする中で見えてくることもあるかもしれないけれど
でも、自分以外の何かの中にはなくて、
自分の持ち味は自分の中からしか出てこない思うのです。

 

生きる中で身につけた色々な、しがらみ、こうあるべき、とかではなくて、
本来の自分の持ち味を生かすために。

 

この世界を、なんていうか、

料理みたいな、オーケストラの演奏みたいな

そんな風に見ているんですが、

それぞれがそれぞれの役割を果たしてこそのハーモニーというか。

 

みりんと思って使ったみりんが、
いや、なんか酢に憧れてて、最近ちょっと酢っぽくしてるんです、
っていうような状態だったら、煮物が台無し。

 

トランペットがフルートの代わりをするとなったら
トランペット的にはものすごい労力がいる上に、完璧にはこなせない。
フルートじゃないから。
で、ハーモニーもそのようになる。

 

ミミズが蛇に憧れ出して、俺もう、いろんな分解とかじゃなくて
カエルとか飲んでみたいんで、分解とかやめます。
とかなったら。

 

この世界のバランスって、本当に精妙にできていて、
そこはたぶん、人間がどうこうできるところではなく、
もう自然界の掟に則って歯車のひとつとしてやってくしかないし
きっとそれが一番楽でかつ、役にも立つんじゃないかと思う。

 

で、そのためにできることって、
まず自分っていう世界のバランスをとっておくことなんだと思うんです。
ほらあの、大きな宇宙の写しがそのまま個っていうような感じで。

 

私はそれをざっくりと肚で生きると言っています。
自然の歯車の一部として、スムースに回れる自分である。
そうすると、なんか自分で歯車を回して、どうこうっていうのではない
なんかいろんな歯車がかみ合って見える未知の世界がそこに。

 

その肚で生きるために、どうするかっていうと、
今この瞬間に生きる、ということになるんですが
そんなポエミーに言われましても。
んじゃ、それって、どうやればいいの、ってなる。

 

そこで呼吸・整体の手法が、ものすごく細かいレシピを
超初心者向けの料理本みたいな、そんな感じで提供してくれてます。
(伝える側としてスクールなどで学ぶと学術書を紐解いているような感じです)

 

肚で生きるって、つまり、自分の持ち味を生かして
ついでになんか役にも立ってて、でも自分はけっこう楽、
というような感じです。

 

その世界を味わってみたい人は、オープンクラスへ。

その世界を自分で作ってみたい人は、息コミュニケーターへ。

その世界を誰かに共有したいひとは呼吸シェアリストへ。

 

その世界を味わって、自分で作れるようにする。かなりの精度でいつでも。
それが呼吸DOJO。今新規募集はしていないんですが。

 

という感じです。

 

次のオープンクラス

10/5(土)17:15〜@藤沢

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