2019-06-07 なにをするかより、どうやるか この投稿をInstagramで見る なにをするかより、どうやるか。 物の扱いは、そのまま自分の扱いである、というのは精神論でもなんでもなくて、例えばドアをバタンッと閉めるとき、がちゃがちゃと食器を洗うとき、ソファにどさっと座るとき(イライラしてるときにするような感じで)。呼吸と体がどうなっているかをみてみればあきらか。息は上がり、体は力み、どんどん苦しくなってくる。 心身が健やかであるために、ライフスタイルは変えなくてよくて(健康に“いい”ものを食べるとか、“悪い”ものをやめるとか)、ただ行為の質を変えればよいです。 なんだか落ち着いてる、健康、いい感じ、の人ってそこを無意識にやってるので、単に形だけ真似しても、同じようにはならなくて、そして、 やっぱりその行為の質の鍵になるのは呼吸なわけです。 次回オープンクラス@湘南は6/18(火)13時半〜です。詳細は近々お知らせします。 Mamiさん(@matsunaga_mami)がシェアした投稿 - 2019年 5月月23日午後3時59分PDT
2019-05-15 どうあっても大丈夫な自分になる View this post on Instagram 願いを叶える方法とか、なりたい自分になる方法とか、いろいろあるけど、じゃあ私が伝えてるのは何かというと、願いが叶わなくてもなりたい自分になれなくても大丈夫な自分になる方法。どうあっても大丈夫、って最強じゃない? 写真はキャットツリーの最上階に初登攀、緊張の面持ちの猫(この後しばらく降り方を模索)。 次のオープンクラスは5/19(日)17:15〜湘南エリアにて。若干名お席あります。興味ある方はご連絡ください。週末のオープンクラスは少し先になりそうです。来月は平日に開催します。 Mamiさん(@matsunaga_mami)がシェアした投稿 - 2019年 5月月15日午前4時07分PDT www.facebook.com www.facebook.com
2019-05-15 何かを学ぶときには View this post on Instagram なにか新しいことをやってみるとか、なんとか法とかを試してみるときには(スポーツでも、食事法でもなんでも)、言われた通りにする。自分なりのアレンジはしない、というのはすごく大切だと思う。でも、そのやり方を覚えて一定期間言われた通りに実践したあとには、それをしている最中に自分がどんな感じがしているのか(心身の感覚など)もおきざりにしないのもまた大切だと思う。それができるかできないか、はたぶんあとあとじわじわと、効いてくる。 Mamiさん(@matsunaga_mami)がシェアした投稿 - 2019年 5月月14日午後6時29分PDT
2019-05-06 呼吸か頭か View this post on Instagram 先日1週間ほど胃腸炎的なにかで寝込み、死んだんですが。復活したらなんかものすごく豚肉の生姜焼きが食べたい。さて、どうするか。 ▶︎いやいや「あるベジタリアンの食卓」とかやってるくせにダメでしょ。 ▶︎なんかの間違いじゃ? 本当に欲しいのは豚肉じゃなくて、豚の成分のなにかとかさ。それか生姜じゃないの?豚じゃなくて。 ▶︎ほしいって言ってんだから食べるべし。 当然、食べます。迷わず。ただ、久しぶりすぎるし、ちゃんとしたのじゃないとダメそう、という判断はします。で、ちゃんとしたお店で少量。 なんで豚肉だったのかは今でもわからないし、なにか効果効能的なのがあったかもわかりません。が、呼吸がそうだと言ったらそうなんで。その判断に従うのみです。良かったか悪かったか? それが判明するのは何年後かもしれないし、わからないままかもしれない。けど、それでいいんです。頭主導じゃなく生きるってそういう感じです。わからなくても信じてすすむだけです。未来って後ろにできてくから。 Mamiさん(@matsunaga_mami)がシェアした投稿 - 2019年 5月月5日午前3時07分PDT
2019-04-30 身体と瞑想 View this post on Instagram 昨日のポストのつづき的に。 瞑想を思考と本能が両立した状態であり、それを観察している自分がいる、と定義した上で。 瞑想は特別なものではなく、思考も本能も持ち合わせている「人」として生を全うするために必要な条件とおもっています。 その瞑想を深いものにする、あるいは日常においても継続させる(天命を生きる、肚の声に従って生きる)というときにやはり体のことを細かくみていくのは大切です。頭を使うばかりで、感じること、本能がおきざりになっている状態から、瞑想ができる、しやすい自分、その状態を継続できる自分に育て直していくプロセスです。 頭ばかり使う時間と、頭をオフにする時間を分けるのではなく、頭を使いつつもちゃんと感じられている、ってなかなかいいですよ。たとえば、自分へのご褒美とか、ストレス解消とか、そういうのが不要になるなどします。 Mamiさん(@matsunaga_mami)がシェアした投稿 - 2019年 4月月30日午前7時23分PDT
2019-04-30 肉体か、精神か 呼吸・整体のおもしろいところは、鍼灸師、理学療法士などの方が治療やリハビリの一環に用いる手法である一方で(現在こっちが多数)、私のようになんだかよくわからない精神面、瞑想の手法として用いることが成り立っていること。精神世界を追求したときに、おちいりがちなのが体がおろそかになって直接体験せずになんかそれっぽくなってしまうこと。そしておそらく体を追求すると、精神がおいてけぼりになる。でも、どちらの世界も突き詰めていくと、精神、肉体は切っても切れないんだ…となるのだとおもう。というか冷静になれば切り離せるわけはないとわかるのだけど。体のことも精神のことも、どちらも根っこは同じところ。体の癖は思考の癖につながってたりするし、その逆もそう。だから、アプローチは、体でも精神でもいいとおもう(でも、経験上、体からの方が絶対ラク)。直近のオープンクラスはこちらhttp://remembering.hatenablog.com/entry/2019/04/18/143544
2019-04-29 自分の道を歩くときに 自分の道を歩く、となったときに、みなさんじゃあ仕事を辞める、とか、離婚する、とか、急なんですよ。大ごとに手をつける前に、まず今からの予定とか(行こうとしている場所や会おうとしている人など)、買おうとしてるものとか、食べようとしてるものとか、そういう身近なところから練習してみるのがいいです。でも、その前になんの損失もなくその練習をできるのが、呼吸です。どこにも答えのない「自分なり」を見つける練習をしてから(ついでに健康になってから。損がないというよりもいいことしかない。おトク。)徐々に日常のいろいろに波及させたらいいとおもいますYO。小さいことからやっていくうちに、大きいのも自然とやるようになるから。その「自分なり」を見つける練習、5/19のオープンクラスでやります。 オープンクラス詳細はこちら↓ http://remembering.hatenablog.com/entry/2019/04/18/143544