蚊が顔を刺すという慈悲について
ちょっと前のこと、首を絞めて殺される夢をすごくリアルに見ました。
あまりにリアルすぎて、これは別の次元で「自分」が体験してることなんでは?
と思うほど。
そんな話をいろいろ見えちゃう系のひとに話したら、
ある人物に対して「許せない」っていうのがあるよねと。
思い当たるふしがないではないけれど、それは思考レベルでの話であって
状況から推察するにそんな思いがあっても当然だろう、くらいの感じでした。
「許せない、このやろう!」感が体感としてはないのです。
なので、扱うに扱えない。
感情は、エネルギーとして体感で扱わない限り、
マインド内であれこれやって、やった感だけあって
エネルギー的にはなにも変わりません。
ちなみに体感で扱うのは、特別なことではなくて誰もが体で味わえることです。
(これに関しては、年明けにシェアする場をひらきます)
どうやら私のなかにあるっぽい
「許せない、このやろう!」感は、扱うには大きすぎて
マインドさんがきちっと蓋をしてくれたんだろうなという感じ。
それでも「許せない、このやろう!」感があるんだろうな、という認識をした翌朝、
ばっちり寝違えて、さらに胃も硬くなってました。
体にはいい感じででてきている感じがする……。
でも「許せない、このやろう!」感は全然出てこない。
ただ、ここで、寝違えたのをどうにかしようとか、硬い胃をほぐそうとかするのも
ちょっとちがう、というかコントロールを生む。
でも、そのまま、もつらいので、呼吸だけはラクなところに。
そうして、ただ痛みのためのペースを用意します。
「許せない、このやろう!」感、出てこないかな〜と思いながらも
これはもう私にはどうにもできないので、
かみさま、かみさま「許せない、このやろう!」感を味あわせてください、、
と、なんとなく投げてみました。
そして、数日後の夜。初雪が降った寒い日でした。
眠っていたら、ぷ〜んという音。
蚊っぽいけれど、もうずいぶん蚊は見てないし
こんな寒い日に蚊なんているわけないよね、とまた眠りに落ちました。
が、おでこのかゆさで目を覚ましました。
え、やっぱ蚊?
電気をつけて目をこらすけれど、いない。
気づけば腕も刺されていて、かゆい。
ほどなくして、またぷ〜ん。
これが夏なら、ベッドから出て蚊遣りを焚いたり
虫カップ(綿棒が入っていた透明のカップ。虫捕獲用)でつかまえたりするんですが
なにせ寒い寒い夜。
ベッドから出たくない。
どうしようかなあ、なんておもっているとまたぷ〜ん。
だんだん蚊に対してイライラしてきました。おでこ、かゆいし。
イライラする!イライラする!イライラする!
このやろう! 殺してやる!
と、十分にイライライライラして、殺してやる!殺してやる!
そんなふうに、イライラと、自分の中にある他者への殺意を迎え入れていたら
気づかぬうちにまた寝てました。
(イライラって、イライラさせておけば、かってにいなくなるんです。)
次の日起きたら、ほっぺも刺されてました。
起きて思ったことは、おお、望み通り、
「許せない、このやろう!」感を見事に味わったじゃないか!ということ。
それを味わわせてくれた蚊の慈悲。かみさまの慈悲。
相手との関係性というストーリーとともに蓋をして保存された
「許せない、このやろう!」感は、まだあると思うけれど、
たぶんちょっと蓋があきました。
蓋は無理にあけなくても、その時が来たら勝手に開くし、
開いたら、そのままにしておけば、
沸騰しているお湯が蒸気になってなくなるように、形が変わっていきます。
一気に蓋があくかもしれないし、ちょっとずつかもしれない。
いずれにせよ、感情をなかったことにしないで、ちゃんと扱うことで
プログラムされたパターンが弱まっていきます。
自分で作り上げたストーリーから自由になる方法のうちのひとつです。
ちなみに、その日も部屋の中で何度か蚊を見たけれど、刺されはしませんでした。
何年か前の雪の日にはしゃぐうちの猫。猫はこたつで丸くなるんじゃないんか……。
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