なぜ呼吸・整体なのか
呼吸シェアリスト講座のクラス
(呼吸のことをシェアしたい人のためのクラス)では、
「なぜシェアしようと思ったのか」
をシェアする時間を作っているのですが、
その時にみなさんがシェアしてくれたことが、
おお~という感じだったので
なんかよかったら後でテキストなどにして欲しい、とリクエストをしました。
そうしたら、ブログやポストで書いてシェアしてくれて。
なんか私も書こうかな、と思いました。
ちなみに、受講中の方のブログはこちらです。
(FBにポストしてくれた方のは、公開範囲が限定されているので残念ながらこちらではシェアできず)
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なぜ私が呼吸・整体コーチとして活動しているのかというと、
それはもう、ひとえに、
このメソッドは人類へのギフトである、
と思っているから。
いやほんとまじで。
これは、独り占めしたらダメなやつなんですよ。
美味しいもの食べたら、これは一人で食べてていてはいかんやつ…ってなるみたいな。
素晴らしい景色を見たら、これはちょっとみんなに見せたい、みたいな。
いろいろいろいろ、人生ってなんだろう自分ってなんだろう、を追求して
あれこれやってみたり、地団駄踏んだり、もがいたり、
でもなんかうまくいかない、しっくりこない。
私がそうだったように、そういう人って結構多いんじゃないかと思うんです。
そういう人には是非やってみてほしい。
ヨガの呼吸法を毎日2時間やったり、マントラを日に何時間も唱えまくったり、
アーユルヴェーダとか、マクロビとか冷えとりとか、食事や生活法をガチでやったり。
数年単位でそういうのをやってきました。
たとえば、日の出の96分前に起きる、というのが
アーユルヴェーダの生活法の中にあるんですが
それに始まり、経典に書かれている生活法、全部きっちりやりました。
(夏とか、3時台に起きることになるんですが、白湯飲んで、ごま油全身に塗って半身浴して、ヨガして呼吸法して瞑想して、みたいな)。
靴下6枚重ねて履いてたこともあります(冷えとり健康法)。
私、こう見えて結構素直なんで、言われた通りにやるんですよ。
いまいち結果が出ないのは、これらのメソッドがどうこうっていうんじゃなくて、
これらのメソッドを実践しようとしている自分がなってなかった。
砂漠にただタネを蒔いても、発芽しないように
まずそれらのことをできる土壌がなかった。
と、いまは分かります。
呼吸・整体は、その土壌づくりでありながらも、種まきでもあり、
さらには育てるプロセスであるという感じです。
ある仏教の瞑想の合宿に参加したことがあるんですが、
呼吸を感じる、自分の体の動きを観察する、これを無言業で3泊4日くらいだったかな。
確かに、4日目にはなんかいい感じになった感はあったんですけど
家に戻れば、程なくして通常営業になる。
インドで一週間アシュラムに滞在して呼吸法やりまくったときもそう。
呼吸を感じる、自分の体を観察する。
これって、ああいうすごい人たちが言っているレベルで
できる人どのくらいいるのかな。
才能ある人はできると思う。
でも、私みたいな一般人には、できなかった。
(当時は、できてると思っていた)
呼吸・整体は、そのベースになるところを埋めるような、育てるようなものです。
これはまさに、息コミュニケーター、呼吸シェアリストの講座でやるんですけれど
「呼吸を感じる、観察する」
の裏にある莫大な情報を、誰でもわかるように噛み砕いているのが
「深呼吸の衝動」というプログラムと「自然呼吸」というプログラムで
それぞれこの一言をテキストでは10ページくらいかけて解説してます。
それでも、入門向けに省いたところもある。
天才とか、ものすごい才能のある人は、スポーツでもなんでも
「ガッとやればいい」とかで理解できるんでしょうけれど
そのガッっていうところが凡人には理解できないわけで、そこをひたすらに細かく
誰にでもわかるようにものすごく親切に解説しているのが呼吸・整体です。
誰から教わるか、はすごく大事だともちろん思うんですが、
呼吸・整体のメソッドは、まず、メソッドとしてすごい。
もしも、考案者の森田敦史さんが、ものすごい凶悪な犯罪とか犯したとしても
えー、じゃあもう呼吸・整体やらない…とはならないくらいにはすごい。
ここまで細かく呼吸について、誰でも実践可能な形で伝えているメソッドは
私の知る限り世界を見渡してもない。
(一度、ないかなって思って英語で色々検索してみたことがあるけどなかった。むしろあったら教えてください是非)
ちなみに、実践していると、これまでよくわからなかった哲学の内容とかが
それに関して全く勉強していないのに、なんだかわかるようになる。
ヨーガ・スートラとか、バガヴァッド・ギーターとか。
ですよね感がすごい。
体を通して、実感して、それを頭でも理解するという順序になるのかな。
このメソッド、まだ考案者の森田敦史さんも生きているし、まだ更新されてもいるし
そこに居合わせているって、すごいよなあ、と常々思っています。
あ、そもそも、これを伝えていこう、と思ったのは
森田敦史さん、当時これを瞑想とかそういうもの、
というふうには決して言わなくて、
でも、もう講習中、これは絶対にそうだ、と私は思っていて、
なぜだなぜだなぜ言わないのだ…
「敦史さん言わないなら、じゃあ私が言う!」
というような感じです。
人生何がきっかけになるかわからないものです 笑。