Forget for get

呼吸と体を通して、自分を思い出すこと、それは「自分」を忘れること。生きることを活かすこと、「生活」について綴ります。

スタート地点

 
 
 
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月に1度60分のレッスンを数か月。それだけで英語が口からスラスラ出るようになる。とはきっと多くの人は思わないんだろうけど、健康な心身はそんなもんで手に入れたい、入れられると思う人もわりといるようなのだけど、なぜなんだろう? 今の自分の体って、これまでの自分の日々の結果。履歴書的な。そこ書き換えるにはやっぱりちょっと時間は必要。いやでもまあ、月に1度60分とかでも、半年くらい続けると結構変わってくるんだけど、そこからさらに半年、そしてさらに半年、って続けたときのその半年は、最初の半年とはまったく、全然、ちがう質量になる。でも、続けるのが正解ってわけでもないです。たとえば、サーフィンでもボードに立てれば十分!って場合もあるだろうし、いろんな技ができるようになりたい、いろんな波を楽しめるようになりたい、とか人それぞれ好みがあるので好きなようにするのがいいと思う。でも、肉体を使って肉体を超えるってのをやってみたいとか、もういよいよハラくくりたいんだ! という場合には、ボードに立ってある程度乗れるようになってからがスタートなんですよ。

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プロ仕様の自己実践とシェア

現在東京でスタートしている呼吸シェアリング協会認定講座。
プロ仕様の自己実践と、そして呼吸のことをシェアしたい人のための講座です。

オープンクラスなどでお伝えしている内容はもちろんなのですが
その裏というか、奥というか?
なぜそうなのか、なぜそのようにするのか、というところまでお伝えする講座です。

ただなんとなく実践するのではなく、
なぜそのように実践するのかを知った上で実践する。
そして呼吸の叡智をシェアする。

瞑想の自己実践を深めたい方も、シェアしたい方も。
募集前にすでにお席が埋まりつつありますが
まだ若干名参加可能です。
興味のある方は資料をお送りいたしますのでご連絡ください。

なにをするかより、どうやるか

 
 
 
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なにをするかより、どうやるか。 物の扱いは、そのまま自分の扱いである、というのは精神論でもなんでもなくて、例えばドアをバタンッと閉めるとき、がちゃがちゃと食器を洗うとき、ソファにどさっと座るとき(イライラしてるときにするような感じで)。呼吸と体がどうなっているかをみてみればあきらか。息は上がり、体は力み、どんどん苦しくなってくる。 心身が健やかであるために、ライフスタイルは変えなくてよくて(健康に“いい”ものを食べるとか、“悪い”ものをやめるとか)、ただ行為の質を変えればよいです。 なんだか落ち着いてる、健康、いい感じ、の人ってそこを無意識にやってるので、単に形だけ真似しても、同じようにはならなくて、そして、 やっぱりその行為の質の鍵になるのは呼吸なわけです。 次回オープンクラス@湘南は6/18(火)13時半〜です。詳細は近々お知らせします。

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どうあっても大丈夫な自分になる

 
 
 
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願いを叶える方法とか、なりたい自分になる方法とか、いろいろあるけど、じゃあ私が伝えてるのは何かというと、願いが叶わなくてもなりたい自分になれなくても大丈夫な自分になる方法。どうあっても大丈夫、って最強じゃない?

写真はキャットツリーの最上階に初登攀、緊張の面持ちの猫(この後しばらく降り方を模索)。

次のオープンクラスは5/19(日)17:15〜湘南エリアにて。若干名お席あります。興味ある方はご連絡ください。週末のオープンクラスは少し先になりそうです。来月は平日に開催します。

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何かを学ぶときには

呼吸か頭か

 
 
 
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先日1週間ほど胃腸炎的なにかで寝込み、死んだんですが。復活したらなんかものすごく豚肉の生姜焼きが食べたい。さて、どうするか。 ▶︎いやいや「あるベジタリアンの食卓」とかやってるくせにダメでしょ。 ▶︎なんかの間違いじゃ? 本当に欲しいのは豚肉じゃなくて、豚の成分のなにかとかさ。それか生姜じゃないの?豚じゃなくて。 ▶︎ほしいって言ってんだから食べるべし。 当然、食べます。迷わず。ただ、久しぶりすぎるし、ちゃんとしたのじゃないとダメそう、という判断はします。で、ちゃんとしたお店で少量。 なんで豚肉だったのかは今でもわからないし、なにか効果効能的なのがあったかもわかりません。が、呼吸がそうだと言ったらそうなんで。その判断に従うのみです。良かったか悪かったか? それが判明するのは何年後かもしれないし、わからないままかもしれない。けど、それでいいんです。頭主導じゃなく生きるってそういう感じです。わからなくても信じてすすむだけです。未来って後ろにできてくから。

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身体と瞑想

 
 
 
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昨日のポストのつづき的に。 瞑想を思考と本能が両立した状態であり、それを観察している自分がいる、と定義した上で。 瞑想は特別なものではなく、思考も本能も持ち合わせている「人」として生を全うするために必要な条件とおもっています。 その瞑想を深いものにする、あるいは日常においても継続させる(天命を生きる、肚の声に従って生きる)というときにやはり体のことを細かくみていくのは大切です。頭を使うばかりで、感じること、本能がおきざりになっている状態から、瞑想ができる、しやすい自分、その状態を継続できる自分に育て直していくプロセスです。 頭ばかり使う時間と、頭をオフにする時間を分けるのではなく、頭を使いつつもちゃんと感じられている、ってなかなかいいですよ。たとえば、自分へのご褒美とか、ストレス解消とか、そういうのが不要になるなどします。

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