発芽、成長、開花、結実、枯死、そしてまた発芽
人は自然の一部、産物。ゆく川の流れは絶えずして、身体やマインドもやっぱり変化し続けてます。
たいていの植物は、発芽、成長、開花、結実、枯死、そしてまた発芽、というサイクルを繰り返しています。私たちの人生も、一生という長期的な目で見ても、10年、1年、1日というような中期的、短期的にもこんなサイクルを繰り返しています。季節が巡るように、人生にもおなじように四季があるというのはヴェーダの教えのひとつ。ずっと同じということはなく、山あり谷ありなのは当然、ということです。
では今、自分はどのあたりにいるでしょう? ためておいたエネルギーを発芽させるとき? それともそこから成長をしていく時期でしょうか? ひとつ花を咲かせて、実を結ぼうとしているかもしれません。ひとつの出来事が完了して次の種がまかれたときかもしれません。
結実にこそ価値がある、だからそこまでのプロセスはできるだけ短縮して効率よくたくさん実を付けるのがいい、そんなような価値観が浸透しているように思います。でも、私たちは自然の一部です。いつも実を付けることは不可能だし、豊かな実りのためには、それ以外のプロセスも同じように重要です。枯れて土に還ることも当然ながら重要です。新しい芽を出す前の段階には、必ず枯死があるわけで、さらにそれはそのまま、発芽以降成長するための養分になります。
どんなプロセスにも意味があり、そのプロセスなしに次のプロセスは起こりません。発芽の時期には、芽を出すことだけに専念すればいいわけで、結実を急いでそのプロセスをないがしろにすれば、結果的に豊かな実りは得られなくなってしまいます。
私たちは、自然の一部。自分がどのプロセスにいるのか、一度立ち止まってみると自分に今、何を与えればいいのかが明確になります。ぐんぐん伸びていく時期には、たっぷり滋養を与えて活動を促すことで、本来のパワーが発揮されやすくなるかもしれないけれど、反対に、枯死の時期にいくら滋養を与えてどうにか成長しようとしても、それは無理なわけです。
自然と調和して生きるには、思考の暴走を抑えて(ゆったり呼吸しましょう)まずは自分の身体という自然に調和することが大事かなとおもいます。大事なことは全部、身体が知っています。そして、呼吸が鍵をにぎっています。
「自分を信じること以上に大切なことはない」。ほんとうにそう思います。思考ではない本来の「自分」というのは、自然と調和した、自然の一部です。体感覚として現れるそれにまずは耳を傾けるところから。